豊後街道

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(3)内牧〜久住 07.5.24-25
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●坂梨
内牧から南東へ、宮地から真東へ進むと坂梨宿。
    

宿場の入口にある大きな恵比寿石像。

広大な敷地の坂梨御茶屋跡。無住のようだった。

    
●ヘキ谷から弁天坂へ
滝室坂で外輪山を登り、ほぼ国道57号線に沿って進む。産山村の少し手前から国道と別れ山中に入る。
    

明治元(1868)年建造のヘキの道標。左 ならきの なんごう
ヘキとは境界のことで、かつての波野村と産山村の境界。

弁天坂の手前で九重連山が見える。
日本一の鞍掛櫟の案内板もたっている。


弁天坂。
石畳が残っているが、半ば草に埋もれている。


北向集落の安藤家の石垣。角に大正13(1924)年建造の道標。
右 笹倉阿蘇 左 白丹久住

    
●国境
やがて肥後と豊後の国境にさしかかる。現在は旧久住町と産山村の境界である。
国境への坂道には「境の松の石畳」が残っていて、坂を登り切った国境には松の木があったという。
    

 

    
米賀
豊後の国へ入り、三本松を経て米賀を通る。 関連サイト 米賀滝
    

米賀橋は大正13(1924)年建造の石造アーチ橋。
破損がなく状態はよいが、草が絡んでよく見えない。

    
一里山
やがて神馬の集落へ。一里山越えにさしかかる。大分県に入ると豊後街道の案内板が全くないので分かりにくい。
一里山でもかなり迷って、ようやく石灯篭にたどりついた。
    
神馬橋は江戸末期・文政年間(1820年代)の建造。
勝海舟は坂本竜馬といっしょにこの橋を渡った。
海舟は「小流甚だ多く、架する橋は皆石橋」と書き残している。



一里山の石灯篭。
熊本から18里の一里塚の跡と思われる。

    
●久住
一里山を下ると国道と合流し、久住宿に達する。
    

旧久住町役場内にある御茶屋跡。

造り酒屋。
    


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