豊前街道

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(1)山家〜羽犬塚 11/1/21
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豊前街道は小倉と熊本を結んでいる。
小倉から山家までは長崎街道と合流し、松崎宿付近から府中宿までは秋月街道とも合流している。

●石櫃
山家宿は長崎街道と重複するので、山家宿から少し南下した石櫃から豊前街道の旅をはじめた。
    

中牟田小学校の100mほど南の十字路の南東角に追分石がある。
右 肥後薩摩道 左 豊後 秋月 日田 甘木道
この道標にしたがって右へ進む。















 

●筑前筑後国境
田んぼが広がる道を進み、馬市の集落をすぎると、筑前筑後国境石がある。
ここは福岡藩と久留米藩の国境、現在は筑紫野市と小郡市の境界になる。
    

19世紀中頃の建造で、高さは3mくらい。

●松崎秋月街道/松崎
田園の道を南下し大分自動車道をくぐると松崎宿。

●府中秋月街道/府中
かつての御原郡と御井郡との境にたつ平方集落の郡境石をすぎ、甘木鉄道の踏切を渡ると、やがて筑後川。
神代(くましろ)橋を渡ってすぐの十字路に神代浮橋の碑がある。
九州自動車道の久留米IC付近をすぎると府中宿に達する。
    

平方集落の郡境石は文政12年(1829)の建立。



文永11年(1274)、元・高麗の連合軍の襲来にあたり、鎌倉幕
府の執権北条時宗は薩摩・大隈・日向・肥後など南九州の御家
人に出兵を命じた。当地の神代良忠は軍勢の北上に際し、筑後
川神代浮橋(舟橋)により諸軍を速やかに博多に赴かせた。

●羽犬塚
街道は南西へ進む。やがて国道209号線と合流して南下する。西から鹿児島本線が接近すると羽犬塚宿。

羽犬塚小学校の場所に御茶屋があった。筑後では、豊前街道ではなく薩摩街道(坊津街道)という表示をしている。

羽犬塚の地名の由来についは次のような伝説がある。
天正15年(1587)天下統一を目指す豊臣秀吉が数万の軍勢を率いて九州へ遠征してきた。
この地に差し掛かったときに、連れていた敏捷で羽根が生えたようによく跳ぶ愛犬が敵の矢に当たり死んでしまった。
秀吉はこの愛犬を弔らうため塚を作り、この地を羽根の生えた犬の塚という意味で羽犬塚と呼ぶようにした。
    

羽犬塚小学校前の羽犬の像。

羽犬塚小学校北の宗岳寺には犬の塚がある。

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