豊前街道

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(2)羽犬塚〜南関 11/1/21
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●羽犬塚から南へ
国道442号線を横断すると国道209号線から少しそれ、天満神社付近で再び国道に合流する。
このあたりには最近建てられたであろう金文字の立派な「旧坊津街道(薩摩街道)」の道標がある。
    

藤島橋たもと。山頭火の歌碑と並んでたっている。

二本松橋付近。
 

天満神社の美しい山門。

社殿に飾られている合戦の絵図。
 
この付近は一之塚源平古戦場跡。壇之浦を追われた平家は筑後平野を南下し、みやま市山川町要川で最後の戦いとなるが、
その途中、筑後平野の数か所で合戦があったと思われる。ここは合戦場のひとつであろう。

●瀬高
船小屋付近で国道を離れ、矢部川の北を南西へ進む。やがて、蛇行する矢部川河畔にある瀬高宿に至る。
瀬高宿は矢部川の手前の上庄と瀬高橋を渡った先の下庄に分かれている。
    

上庄の民家。

 
    

下庄の菊美人酒造。

鹿児島本線の踏切の先にある柳河城下からの二里石。

伊能忠敬は、文化9年(1812)1月と10月の2回、
瀬高町域を測量している。
 

●筑後肥後国境
豊前街道は国道443号線に沿って南下する。東から九州自動車道が接近してくる。
源平の古戦場・要川をすぎ、九州道の下をくぐると、山間部へ入って行く。湯谷で再び九州道をくぐると筑後と肥前の国境である。
 
湯谷柳川領境界石と名付けられた石碑をすぎて振り返る。

右が古い境界石で、江戸時代初期に建てられたものであるが、三つに折れて中段と下段が残っている。表面の文字は読みにくい。

(従是西)北筑後国立花(左近将監)領内柳河札辻ヨリ是迄四里二十町余( )内は推定。

左の新しい境界石は、古い境界石が折れたため江戸時代末期に造り替えられたと思われる。文字ははっきり読み取れる。

従是西北筑後国柳河領従柳河札辻四里二十町余

●南関
南関IC手前九州道をくぐり、南関ICの先で再び九州道をくぐると南関宿に入る。
    
 
南関御茶屋が修復復元され国史跡となっている。
嘉永5年(1852)に建造されたもので、熊本藩、薩摩藩などに参勤交代で使用され、明治期には料亭として使用されていた。
 
南関あたりから明治10年(1878)の西南の役の戦跡がつづいている。ここ正勝寺は官軍の本営となった。

正勝寺は永正3年(1506)の創建。

正勝寺の鶴の鏝絵。

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