朝鮮通信使の道

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赤間関(下関) 関連ページ 朝鮮通信使行列 赤間神宮 10/1/14
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対馬、壱岐、藍島を経て、日本本土最初の寄港地が赤間関であった。
赤間関での客館は阿弥陀寺と引接寺で、随行の対馬藩士は近隣の商家や寺に分宿したようだ。
阿弥陀寺は明治に入って神仏分離令により天皇社となったが、当時の阿弥陀寺は、赤間神宮や西隣の割烹旅館「春帆楼」を
含め、もっと西側に広い境内を持っていて、阿弥陀寺に隣接して引接寺があったのではないだろうか。
阿弥陀寺に上官が、引接寺に中官と下官が宿泊した。

「海游録」には次のように書かれている。
夕暮れに赤間関の前湾に着いた。湾堤ははなはだ壮にして、一抱えもある木を数十、数百株と連ねて水中に挿して 列べ、その
上に白い板を鋪き、縦横それぞれ十余間、岸と平直にして寸分の高低もない。板上には浄席を敷き、まっすぐに使館にいたる。

当時の阿弥陀寺の前は現在のようにまっすぐな海岸線ではなく、海峡の流れをさけられるような湾になっていて、湾に大きな桟
橋が設けられ、客館へ直接行けるようになっていたようだ。


赤間神宮の国道を隔てた阿弥陀寺公園に、朝鮮通信使上陸淹留(えんりゅう)之地という記念碑がある。
淹留とは長く滞在するという意味で、享保の使節の場合は5日間の滞在で、それほど長い滞在ではなかった。
この碑は、韓国から運ばれた石を使って、2001年8月に地元有志によって建てられた。
「朝鮮通信使の歴史的意義を再認識し、一行上陸の当地に記念の石碑を建立、その歴史を恒久的に顕彰する」
という建立趣旨が、日本語、韓国語、英語で刻まれている。
                                                                         

赤間神宮水天門。

水天門横の阿弥陀寺跡の碑。

赤間神宮本殿。ちなみに筆者はここで結婚式を挙げた。

安徳天皇阿弥陀寺稜。常時門が閉まっていて中を見ることはできない。

「海游録」には次のような記述がある。
寺の傍らに安徳天皇廟がある。廟宇は狭小にして、なかには塑像を奉じている。
今なおその遺像があり、前の使行のときはみな目撃しているが、今は那禁ということで、入って見ることが許されない。
                                                                                                

阿弥陀寺の庫裏跡に建てられた春帆楼。ここに上官が宿泊した。
右は、明治28年(1895)、日清戦争の講和会議が行われた建物。

引接寺。三門は下関市指定文化財。
ここに通信使の中官・下官が宿泊した。

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