番外編

 
 
                                          
朝鮮通信使の道
                                            
朝鮮通信使の始まりは足利将軍からの使者と国書への返礼で、室町時代には3回来日している。
豊臣秀吉の時代は2回。表面的には秀吉の日本統一の祝賀であったが、朝鮮側は朝鮮侵攻の真偽を確かめるのが目的であった。
壬辰倭乱(イムジンウェラン、文禄慶長の役)によって国交は断絶したが、江戸時代に入り国交回復のための通信使の派遣が復活した。
最初の3回は回答兼刷還使と称され、文禄慶長の役で捕虜になった人たちを連れ帰ることが主目的だった。
4回目からは、将軍の交替や世継ぎの誕生に際して祝賀使節として派遣されるようになった。

朝鮮の李王朝から信書を持って来日し、徳川将軍から返書を持ち帰った。
通信使とは、信(よしみ)を通わす使節、信頼関係を深めあう使節という意味である。


江戸時代の朝鮮通信使 (総人員は文献により異なる)
西暦(元号) 朝鮮暦 正使 将軍 名称 主目的 総人員
第1回 1607年(慶長12年) 宣祖40年 呂祐吉 徳川秀忠 回答兼刷還使 日朝国交回復、捕虜返還 467
第2回 1617年(元和3年) 光海君9年 呉允謙 徳川秀忠 回答兼刷還使 国内平定祝賀、捕虜返還(伏見で応接 428
第3回 1624年(寛永1年) 仁祖2年 鄭ャ 徳川家光 回答兼刷還使 家光襲封祝賀、捕虜返還 300
第4回 1636年(寛永13年) 仁祖14年 任絖 徳川家光 朝鮮通信使 泰平賀 475
第5回 1643年(寛永20年) 仁祖21年 尹順之 徳川家光 朝鮮通信使 家綱誕生祝賀、日光東照宮落成祝賀 462
第6回 1655年(明暦1年) 孝宗6年 趙珩 徳川家綱 朝鮮通信使 家綱襲封祝賀 488
第7回 1682年(天和2年) 粛宗8年 尹趾完 徳川綱吉 朝鮮通信使 綱吉襲封祝賀 475
第8回 1711年(正徳2年) 粛宗37年 趙泰億 徳川家宣 朝鮮通信使 家宣襲封祝賀 500
第9回 1719年(享保4年) 粛宗45年 洪致中 徳川吉宗 朝鮮通信使 吉宗襲封祝賀 475
第10回 1748年(延享5年) 英祖24年 洪啓禧 徳川家重 朝鮮通信使 家重襲封祝賀 475
第11回 1764年(宝暦14年) 英祖40年 趙曮 徳川家治 朝鮮通信使 家治襲封祝賀 472
第12回 1811年(文化8年) 純祖11年 金履喬 徳川家斉 朝鮮通信使 家斉襲封祝賀(対馬で応接 326
                                                                      
朝鮮通信使の足跡をたずねる
主として第9回享保の朝鮮通信使の旅日記・申維翰の「海游録」を手がかりとしている。 

対馬

壱岐

藍島

赤間関

上関

下蒲刈

鞆の浦

牛窓

室津

朝鮮人街道

東海路


参考文献 申維翰「海游録」 辛基秀・仲尾宏「図説 朝鮮通信使の旅」 
李進煕江戸時代の朝鮮通信使


旧街道を歩く