萩往還

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萩から悴坂(かせがざか) 2003.8.22
E-100RS
                                                                               


萩往還の起点・唐樋の札場跡にたつ道標。

萩往還は、萩市から山口市を経て防府市三田尻に至る全長約53kmの街道。

慶長9年(1604)毛利輝元の萩城築城により「お成り道」として開け、明治の中頃までの300年間、参勤交代や維新の志士達が江戸へ京へ、また飛脚や庶民など多くの人が行き交い歴史上重要な役割を果たした道。途中には一里塚、石畳など歴史的史跡も多い。平成元年(1989)に国指定史跡に指定、平成8年(1996)、文化庁から「歴史の道百選」にも選ばれた。


実質的な萩往還の起点である大木戸があった金谷天神社。


萩から旅立つ人が萩の町を見て涙を流したという「涙松」
があった所。


萩から最初の一里にある悴坂(かせがざか)一里塚。
土台の石積みはほぼ当時のままと思われる。



悴坂(かせがざか)は緩やかな上りの道。
すぐ左手を萩有料道路が通っている。



大屋刑場跡に立っている地蔵。
わが国最初の女体解剖が行われた場所でもある。


萩往還公園の吉田松陰記念館前の銅像。左から高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞。 08/5/27 *istD



以下2015/3/2取材  PENTAX K-7
萩往還は萩有料道路料金所の手前で道路を横断し左手から山道へ入る。のちに、萩往還の下をトンネルでぬける道が明治中期に造られた。当時のトンネル鹿背(かせ)隧道は萩市と旭村の境界にある。

鹿背隧道は、長さ約182m・幅約4.2m・高さ約3.9mの石造り、1886年の建造、登録文化財に指定されている。

鹿背隧道のある悴坂線は道路幅が狭く、トンネルの中では離合は出来ない。トンネルの手前で対向車を確認し、一気にトンネルを通過する。



 


直進すれば鹿背隧道、萩往還は右へ。


峠の頂上に悴坂駕籠建場が復元されている。


鹿背隧道の先で合流する。


そのすぐ先で萩往還は左へ分岐する。


烏帽子岩と石畳。


峠を下り終えた萩往還は明木川の土手を進む。
街道に背を向けて、粗末な藤棚の下に地蔵がある。

幕末の頃、長州藩内では四国連合艦隊の下関攻撃や幕府の長州征伐をめぐって、意見が対立していた。対立する相手を封じ込めるため、このあたりで待ち伏せして殺害し、その首を烏帽子岩にさらしたという。この地蔵はその供養のためだろうか。


県道32号をくぐると吉田松陰・短古石歌碑がある。

安政元年、24歳の松陰が下田での密航に失敗し、囚われの身となり萩へ護送される途中、明木のこの地で詠んだとされる
 少年有所志 題柱學馬郷 今日檻輿返 是吾晝錦行
今日、檻に入れられて返ってきたが、故郷に錦を飾る思いである。