日田往還

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(1)日田市 2011/5/4
K10D
 
日田往還は、天領日田と城下町中津をむすんでいる。
日田往還の起点は月隈山の永山城址にあった日田陣屋付近であるが、1kmほど南の咸宜園から旅をはじめた。

●咸宜園から濠梁橋へ
日田駅から北へ久大本線をくぐった少し先に咸宜園がある。城内川に架かる濠梁橋を渡ると、豆田町の古い町並みが見えて来る。
                            

咸宜園は幕末の儒学者広瀬淡窓の私塾跡。
淡窓亡き後もつづき、明治30年までに5000人近くの塾生を輩出した。

江戸時代末期、この川を使って年貢米の輸送が行われた。
このあたりを港町というはその名残り。

●豆田町
豆田町は重要伝統的建築物群保存地区。日田往還はみゆき通りを進む。連休期間中で天気もよく、たくさんの観光客でにぎわっていた。
豆田町散策マップはこちら  関連サイト天領の町・日田



豆田町の入口、鍵曲がり付近。
もう少し左側を広く撮りたかったが、左手は鰻屋「いた家本家」で鰻入りの焼きおにぎりが売られ人が多くて無理だった。
                                  
 
鍵曲がり付近にある草野本家は国指定重要文化財。
最も古い建物は享保10年(1725)頃の建造で、やがて300年になろうとしている。
草野本家公式ホームページ
                            

雪国にあるような屋根付き通路から草野本家を見る。

東へ少し入った所にある広瀬資料館。広瀬家は江戸末期の旧家。
 

赤司日田羊羹本舗は明治24年(1891)の創業。           

そばの馳走庵草八は万延2年(1861)の呉服屋の蔵を改装したもの。
                  

おしゃれの店水田屋は明治15年(1882)の建築。

そば酒処麦屋からつづく長屋。


豆田みゆき通りで最も愛着を感じた石丸金物は明治28年(1895)の建築。店先には竹細工品がいろいろ展示されていた。

●氷山布政所跡
花見川にかかる御幸橋を渡って200mほど進むと、日田陣屋がおかれていた永山城址の濠に至る。濠の手前一帯が氷山布政所跡。
                        

今は住宅街となっている陣屋跡には
氷山布政所跡の標柱がある。

月隈山には古代の豪族の墓である横穴群が残っている。

●渡里川・花見川に沿って市ノ瀬へ
国道212号線を横切り大分自動車道をくぐって、渡里川・花見川沿いに北上する。
                          

羽野天満宮は菅原道真ゆかりの神社。

鏝絵文字の造り酒屋。今は醸造していないようだ。
                                   

市ノ瀬で国道から左へそれて伏木峠へむかう。

花月川沿いの道を石坂石畳道へ。

●石坂石畳道 10/8/26 PENTAX *istD
 
石坂石畳道は日田と中津を結ぶ日田往還の伏木峠にある。国道212号線の日田市市ノ瀬に「石坂石畳道」の標識が出ていて、国道から真北へ集落の中の道を300mほど進むと、石畳道の登り口に達する。峠の頂上まで約40分。

市ノ瀬から伏木峠まで全部で16ヵ所の曲折をつけながら、1260mの距離を登っていく。約2.2mの道幅のうち、中央部分に堅い切石を敷き、左右に山の自然石を敷いている。勾配は7度から10度で、急なところは馬や牛の歩行を考えて、2、3歩進んでは一段上るようにゆるい段差をつけるなどの工夫がされている。

ここは日田から中津へ通じる主要道路のひとつだったが、岩や石の露出した難路だったため、嘉永3年(1850)、隈町の掛屋・京屋作兵衛(山田常良)が周防山口の石工に依頼し築道した。道路完成の翌年、廣瀬淡窓が石坂改修の由来を漢文で撰し、隈町森昌明の書で「石坂修治碑」という記念碑が建てられた。

今まで見た石畳道では、熊野古道の馬越峠が印象に残っているが、ここは日本屈指の美しい石畳道である。



石坂石畳道の登り口。

 
 


登りはじめてすぐのところは竹林の道で、竹の落ち葉が石畳をおおっている。
                

廣瀬淡窓の石坂修治碑。

苔むした石畳の道。


峠の頂上近くは明るい杉林。暗い森の中からここへ来ると光がまぶしく感じられる。

●伏木 10/8/26 PENTAX *istD
石畳道が終わるところに集落があり、分岐を左へ進む。ここから山国町との境界まで3kmほどである。
                       

分岐を左へ、小さな石畳を進む。

右手にはのどかな田園風景。

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