日向往還

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(3)山都町 2011/11/13-14
K20D
                                                          
●赤子谷 2011/11/13 K20D
長谷という集落を経て山中に入り、赤子谷の石畳をすぎるとゴルフ場に出る。日向往還はゴルフ場の中を進む。

赤子谷の石畳。 
                                                 

鬼の巡り石。大晦日に鬼が来てこの石を越すという。

ゴルフ場の中を行く。
                                                  
このあたりを車で西から東に抜けるには、南の国道445号線か県道57号線を行くことになる。
地形図を見ていると、県道57号線の九十折(つづら)という地名のところに八勢川から矢形川へ青い破線の水路が描かれている。
行ってみると、「史跡九十九のトンネル」という黒御影石の立派な碑があり、次のように書かれている。
この用水路は元禄井手の水不足を補強するため開削された嘉永井手という。水源は吉無田水源より取水した清水井手(改修して元禄井手という)の下流と、山都町境を流れる尾多良川、さらに大矢野原より流れる亀谷川の三渓流を合わせて八百七十三メートルのこのトンネルを貫流して矢形川の源流と合流させ、上田代の杉園堰より取水して南田代の屋敷部落で元禄井手と合流させて豊かな水勢となし、南田代から西上野を経て滝尾、木倉の一部に至る。総延長二十八キロメートル、受益面積は三百ヘクタールに及んだ。この難工事を直接担当した当時の上益城郡代上妻半右衛門、木倉郷総庄屋光永平蔵、測量設計と工事管理者楠田順喜以下の役職者と難工事に完遂した石工久五郎をはじめ労役に苦しんだ村人たちの功績が痛切にしのばれる。
江戸時代末期の嘉永年間に築かれた水路。トンネルの長さは873mで、石工は久五郎である。
 

●金内 2011/11/13 K20D
ゴルフ場を通りぬけ国道445号線に沿って進む。
                                                  

石工丈八(のちの橋本勘五郎)が造った民家の石垣。

立野橋は嘉永3年(1850)建造の水路橋。橋の上を日向往還が通る。
                                                   

金内橋は水路を通すための小さなアーチを持つ2連の石造橋。
立野橋と同じ嘉永3年(1850)建造、石工は通潤橋と同じで宇市と丈八(のちの橋本勘五郎)。

●通潤橋 2011/11/13-14 K20D 壁紙1024×768
金内橋の先で国道445号線から西にそれて山中を南下する。国道218号線を横断して旧矢部町の中心部へ入る。
                                               

●笹原川の遺構 2011/11/14 K20D
旧矢部町の中心部を東へ進み、国道218号線と合流して、笹原川にかかる聖橋を渡る。1kmほど上流には通水施設の遺構がある。
                                               

天保3年(1832)岩永三五郎によって造られた聖橋。

聖橋の親柱。


円形分水。こちら側の地面の下の水路を通って来た水が円形の中央から噴き出し、右の通潤橋と右上の野尻2方向へ分水される。


かつては、円形分水近くの石堰(亀堰)から取水されていた。


今は500mくらい上流で取水され円形分水へ運ばれている。

●男成(おなり) 2011/11/14 K20D
聖橋の先で国道からそれて真東へ。男成(おなり)神社付近を通り、山屋トンネルをぬける。
                                              

境内には舞台。お祭りのときに神楽や芝居が奉納される。

拝殿の側面には百人一首、天井には花が描かれている。
                                            
さして高くない丘の頂上付近に山屋トンネルが掘られているのが理解できなかった。もう5mくらい登れば峠は越えられる。

矢部側入口。

開通年不明。100年は経っていそうだが内部はしっかりしている。

清和側出口。

●貫原(ぬきばる) 2011/11/14 K20D
国道を横断して貫原の集落を進む。旧道は国道のかなり南を進み、再び国道と合流すると馬見原へ達する。

国道から1kmほどの日向往還の上にかかっている貫原橋。弘化4年(1847)の建造。石組みが美しい。
前回ここをたずねたのは15年以上前のことである。

●馬見原(まみはら) 2011/11/14 K20D

馬見原橋を渡ると石畳の町並みへ入る。

火事が多かったことから永禄6年(1563)火伏地蔵堂が建てられた。
                                                     

明治17年(1884)建造の新八代屋跡は馬見原の町並みのシンボル。

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