石見銀山街道

温泉津ゆのつ沖泊おきどまり

  Index Next
2011/11/6 K10D
慶長の頃より寛永にかけて銀山が大いに繁盛して、稼ぎの人数は20万人、1日で費やされる米穀は1500石余り、昼夜の区別なく車馬が
行き交い、家は家の上に建て、軒は軒の下に連なっている。銀山近くの港々には各地から来た大船が先を争って錨を降ろし・・・・・
と「銀山旧記」には当時の繁栄ぶりが書かれている。海路で銀が運ばれたのが、温泉津の沖泊港と馬路(まじの)鞆ヶ浦である。
今回、坂根口番所跡から沖泊港までの温泉津沖泊道10.6kmを歩いた。所要時間は休憩を入れて4時間半だった。

●坂根口番所跡から降路坂(こうろざか)越え

坂根口番所跡。大森代官所跡から3.5kmの地点にある。

降路坂の説明板。曲がりくねった急な坂道と書かれている。
 

石畳の名残りか。

3回ほど橋のない川を渡る。


水音が心地よい。
 

降路坂の頂上。

降路坂の出口、五老橋。

●西田から清水へ

降路坂を降りたところにあるのが西田の集落。

西田にはヨズクの里という看板があちこちにたっている。

ヨズクとは、高さ5mほどのハデ(稲穂掛け)で、巨大なフクロウ(ヨズク)の形をしていることからヨズクハデとよばれている。
おとずれたときは時期が遅かったのか西田ではヨズクハデを見れなかったが、銀山地区の店の前にオブジェとして飾られていた。
 

渡利家住宅。大森代官所の休憩所だった。

中村の題目塔。この先で旧道へ入る。
 

街道を往来した馬子たちがこの上で将棋をしたという将棋岩。
刻まれた線が今でも残っている。

清水の集落の坂道を下る途中にあるのが金柄杓(かなびしゃく)井戸。
水のおいしさに感激した大森代官が金属の柄杓を贈ったという。

●清水から沖泊へ

清水の石畳。岩盤を階段状に削り込んだもの。

この時期はつわぶきの黄色い花が美しい。


旧道の出口に松山の道標がある。
右 銀山大森五・・・いづも大や・・・

松山の道標をすぎると舗装された道に出る。途中で、温泉津温泉街へ行く道と沖泊へ行く道が分岐する。
直進して森を抜けると沖泊の小さな集落に出る。世界遺産の説明板に違和感を感じるほどのたたずまい。集落のすぐ先が沖泊の港である。


沖泊港のすぐそばにある恵比寿神社。銀山華やかなりし頃の16世紀の古建築。手前には当時の浜の井戸が残っている。

■温泉津の風景■


温泉街の路地から見た薬師湯。


開湯から1300年といわれる元湯。


温泉街から沖泊への西念寺横の旧道。
 

江戸時代の廻船問屋「梅田屋」の内藤家住宅。豪商屋敷とよばれている。

若林酒造。奥に古い酒造場があるようだが外から見えない。