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イザベラ・バードの足跡をたずねて(山形県) 2012/10/5-6
K20D

イギリス人地理学者イザベラ・バードが『日本奥地紀行』の旅をしたのは、明治18年(1885)、日本の近代国家としての黎明期で道路も整備されていない時代だった。

バードは、5月20日に横浜を出発し、新潟、山形、秋田、青森を経て、北海道の平取に8月22日、平取から函館に戻り、函館から船で横浜に向かった。横浜着9月17日、約4ヶ月に渡る旅だった。

バードが山形県を旅したのは7月中旬。新潟から米沢街道の十三峠を越えて小松へ。小松から北へ、山形、天童、金山を経て秋田県へ入った。
                                               

 
■十三峠 2012/10/6
今や私たちは大きな山岳地帯の中に入っている。
これは日本を縦断する一大中央山系で、900マイル(1500キロ)も殆ど途切れなく続き、幅は40ないし100マイル(65キロないしは160キロ)で、
果てしない山脈に分かれている。
この山々を越えるには1000から1500フィート(300から450メートル)も高い所にある険しい峠道を越えなければならない。

米沢街道は現在の国道113号線に引き継がれたが、国道113号線は小国街道とも越後街道ともよばれている。
国道113号線沿いには荒川が流れ、バードも荒川の流れを見ながら東へと進んだのではないだろうか。
下関あたりから見ると、荒川のむこうに十三峠の山並みが見える。
                                                                         

鷹ノ巣峠入口。ここから十三峠がはじまる。

十三峠のひとつ・黒沢峠の石畳道。

■アジアのアルカディア 2012/10/6
米沢平野は南に反映する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場赤湯があり、まったくエデンの園である。
「鍬で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。
米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。
実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディア(桃源郷)である。
  
小松にある樽平酒造。
創業は元禄年間(1695年頃)で300余年の伝統を誇り、バードは小松で、ここの日本酒を飲んだかもしれない。
母家・中蔵・東蔵・西蔵・土蔵・前蔵・樽蔵と掬粋巧芸館の本館並びに別館が文化庁指定の登録文化財に指定されている。
                                                                         

イザベラ・バード直筆の記念碑。

アルカディアの塔。

■山形 2012/10/6
山形は県都で、人口二万一千の繁盛している町である。
少し高まったところにしっかり位置しており、大通りの奥の正面に堂々と県庁があるので、日本の都会には珍しく重量感がある。
政府の建物は、ふつう見られる混合の様式ではあるが、ベランダをつけたしているので見ばえがする。
県庁、裁判所、そして進歩した付属学校をもつ師範学校、それから警察署はいずれもりっぱな道路と町の繁栄にふさわしく調和している。
大きな二階建ての病院は、丸屋根があって、百五十人の患者を収容する予定で、やがて医学校になることになっているが、ほとんど完成し
ている。非常にりっぱな設備で換気もよい。

イザベラ・バードが山形市をおとずれたのは1878年であるが、当時の建物で唯一残っているのは山形市郷土館である。
かつては済生館という病院で、バードが「大きな二階建ての病院」と書いているのはこの建物で、完成間近かだった。 

■村山平野
2012/10/6
山形の北に来ると、平野は広くなり一方には雪を戴いたすばらしい連峰が南北に走り、一方には側面にところどころ突き出た断続的な山脈
があり、この楽しく愉快な地域を取り囲んでいる。
ほれぼれとして見たくなる地方で、多くの楽しげな村落が山の低い裾野に散在している。
温度はただの70度(摂氏21度)で北風であったから、旅をするのは特に愉快であった。
もっとも天童から先へ三里半も行かなければならなかった。天童は人口5000人の町で、ここで休息するつもりであったが、貸付屋(貸座敷)
でない宿屋はすべて養蚕のためふさがっており、私を受け入れることはできなかった。

天童公園西側の文学の森にあるイザベラ・バード文学碑。ここから村山平野が一望できる。晴れていれば、遠くに月山や朝日連峰が見える。
バードは宿屋がいっぱいで天童に泊ることができず、天童から14km先まで歩いた。現在の村山市あたりで宿をとったのではないだろうか。

■金山
(かねやま)
2012/10/5
今朝新庄を出てから、険しい尾根を越えて、非常に美しい風変わりな盆地に入った。
ピラミッド形の丘陵が半円を描いており、その山頂までピラミッド形の杉の林で覆われ、北方へ向かう通行をすべて阻止しているように見え
るので、ますます奇異の感を与えた。
その麓に金山の町がある。ロマンティックな雰囲気の場所である。私は正午に着いたのであるが、1日か2日ここに滞在しようと思う。

上台(うわだい)峠から見た金山三峰。バードはピラミッド形の丘陵と書いている。左(西)から、薬師山(437m)、中ノ森(415m)、鷲鷹森(390m)。
                                                                                           

大堰は金山を代表する風景。すんだ水が流れる遊歩道は心休まる。                                                                        


大堰のすぐ南に公園があり、イザベラ・バードの記念碑がたっている。
イザベラ・バード来訪100周年を記念して1985年に建てられた。


大堰の少し北東にある長屋門。金山で最も古い建築で、江戸時代初期の建造とされているが、何度も改修されたのではないだろうか。
                                                             
 
金山様式といっていいと思うが、同じ様式の民家が旧羽州街道をはさんでたっている。
左はカネカ、大正初期の建築で、林業と建築を商いとしている。右はそば処「早々」、カネカと同じ時期の建造と思われる。

■森合峠 2014/10/3 EOS 5D
ひどい道路で、けわしい峠を二つも越えなければならなかった。
私は道中ほとんど歩かなければならなかったばかりでなく、もっともけわしい場所では人力車を押しあげる手伝いをせねばならなかった。
二つのけわしい峠とは、山形・秋田県境にある主寝坂(しゅねざか)峠と雄勝(おがち)峠である。
金山を出ると森合峠(金山峠)にさしかかるが、この峠はバードにとってけわしい峠ではなかったようだ。


この日は朝から雨だったが、金山に着く頃には雨は止んでいた。森合峠を登る途中で振り返ると金山の町が見えた。

 
峠を少し下ると田山花袋文学碑がある。
明治27年(1894)、花袋は日本一周の際に森合峠を通り、その時に峠から見た月山の様子を「日本一周」に書いている。
晴れていれば文学碑のあたりから月山が見えるそうだが、この日は曇っていた。
左は「金山の一夜」という散文。右は歌碑。夕日影 沈まんとする 大空に 月の山こそ あらわれにけれ

峠を下り終えると国道13号線と合流する。合流地点から400mくらいの左手に、羽州街道・日当(ひあたり)の松並木がある。