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唐津街道

畦町〜宗像官道が交差する町 2003.7.15
E-100RS
    


町の西はずれにある槐(えんじゅ)の木。一里塚の
なごりかと思ったが、戦死した軍馬の墓だそうだ。
 

筑前黒田藩は参勤交代の際に赤間宿と青柳宿を指定していたが、宿場間が約4里(16km)と遠すぎるということで、新たに形成されたのが畦町宿である。

畦町宿は、宿泊のための宿場ではなく昼食や休憩が目的だったので、本陣や脇本陣などはなく、庄屋宅や寺を利用していたらしい。県道からはずれた南側を走る旧道は、車の通行がほとんどなくてのんびりと散策できる。



かつては造り酒屋だったというウダツのある民家。
 

町の東はずれに建つ宗像官道の道標。
安政3(1856)年建造。
 

民家には折りたたみ式の縁台「番子」があったむこうは護念寺。

時代を見てきた八幡宮の蘇鉄。
 

護念寺のなが〜い煉瓦塀。
 


青柳宿との間には玄望峠があるが、峠への登り口付近に、ならの木坂という昔な
がらの狭い地道が残っている。訪れたとき、ならの木坂は夏草におおわれていた。


玄望峠を越えた飯盛山の麓にある旦ノ原の井戸。当時、村人や旅人の貴重な飲み水だった。