高野山

高野街道京大坂道学文路〜女人堂

参考資料:高野山周辺古道ガイドブック(高野町作成)
参考ウェブサイト:高野街道不動坂口道を歩く2
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2017/5/16 K-5Us
                                                                                          
2013年11月に慈尊院から高野山大門まで高野山町石道を歩いた。

次は高野街道を歩きたいと思っていたが、体調不良などもあり、実現するまでに3年半が経過していた。

学文路駅前の無人の駐車場(郵便受に500円を投入)に車を止め、少し戻って、学文路郵便局前の御国領境界石から出発した。

この道はごく一部を除いて舗装されている。特に中間付近では車の通行が多い。

ガイドブックによれば、女人堂までの標準歩行時間は3時間20分、標準所要時間は4時間50分。

筆者の場合は、7時20分に学文路を出発、13時20分に女人堂に到着、所要時間は6時間、標準所要時間に対して1時間以上の遅れだった。
 

■学文路〜千石橋


学文路郵便局前の興山寺領境界標石。
興山寺領と紀伊藩領との境界に設置されたもの。


国道との交差点付近にある1758年造立の道標。女人堂まで約12km。
右ハ慈尊院みち是より一里 左ハ高野みち女人堂迄三里


石堂丸物語・玉屋宿跡。


西光寺、石童丸ゆかりの学文路刈萱堂。

石童丸物語

平安時代末期、筑紫国の領主・加藤左衛門尉繁氏は、側室・千里ノ前に嫉妬する本妻の姿を見て世の無常を感じ、
すべてを捨てて出家することを決意し、高野山で修行して苅萱道心と呼ばれるようになった。
石童丸が14歳のころ、旅の僧から父に似た人を高野山で見たという話を聞き、母の千里ノ前とともに高野山に向かう。

高野山は女人禁制だったため、石童丸は千里ノ前を学文路の宿に残し、一人で山を登り父の行方を探す。玉屋は千里ノ前が宿泊した宿。
苅萱道心は石童丸と出会い、身の上話を聞くと自分が父であることを知る。
世を捨て仏道に励む修行中の身、親とは名乗らず、「尋ね人は亡くなった」と母のもとへ帰してしまう。

石童丸が山を下りてみると千里ノ前は長旅の疲れからか亡くなっていた。
悲しみに暮れる石童丸は母を学文路で葬り、再び高野山へ登って苅萱道心に弟子入りを願う。
苅萱道心は親子の縁の深さ、仏の導きを感じながらも、生涯親子の名乗りはしなかったという。


高野山女人堂迄九拾町。約9.8km。


繁野集落の第三の地蔵。


大師の硯水。硯の水を求めたところ、村人は遠くまで水を汲みに行ったので、
その不便を思い地面に杖を突き刺したところ清水が湧き出た。


急な下り坂の途中に第四の地蔵堂がある。
   


河根峠の急坂の途中から、谷底にある河根の集落を見る。。                                                         


坂の途中に河根丹生神社、同じ敷地内に日輪寺がある。


神社の狛犬は応永26年(1419)の銘があり県内最古/県指定文化財。


ここは柿の町・九度山町、こんな山奥でも下水道は完備している。


元本陣の中屋旅館。


丹生川にかかる赤い欄干の千石橋。右手に二里石(九度山町文化財)。女人堂まで約8km。学文路から1時間40分。

■千石橋〜極楽橋                                             


千石橋から見る丹生川の水の流れは美しい。


橋を渡ると九度山町から高野町へ入る。すぐに作水坂への急坂。


坂を登り切ったところで振り返る。左から国道からの車道が合流している。


作水集落の第五の地蔵。


文政年間の銘がある常夜灯。


広くはないが舗装された道がつづく。


高野六地蔵堂の最後の地蔵堂・第六の地蔵。


黒石。明治4年(1871)日本最後の仇討ちがあった場所。


黒石から500mほど先に、仇を討たれた7人の墓がある。


道標が4基。左から2番目が一里石で女人堂まで約4km。


道標から脇道に入った先にお堂が見える。神谷集落の人たちが建てた「むすびの地蔵堂」。                                                       

神谷集落を行く。


昭和天皇御成婚記念道程標。

昭和天皇御成婚記念道程標には、「高野山女人堂 四四00メートル 壱里四町二十間」と刻まれている。
少し手前に一里石があったので、この地点は女人堂まで一里以下・4000m以下でなければならない。
一里石の距離が不正確で、大正3年(1914)に建てられた御成婚記念道程標の距離の方が正しいと思われる。


神谷集落の道標石仏。右 これよりくまの道


高い壁の廃屋の下を進む。


古道のルートは分からなかったので高野線の上の道路橋を進む。


赤い極楽橋へ到着。千石橋から2時間45分。

途中自動販売機がなかったので、極楽橋駅に立ち寄り飲料水を補充した。
この日は曇りで高野山の最高気温は19℃と涼しく、飲料水は750mlくらいですんだが、夏日であればこの2倍以上は必要になっていたであろう。
その後、列車の発着を撮影しながら20分ほど休憩した。

■極楽橋〜女人堂


極楽橋を渡り、振り返って極楽橋駅を見る。


不動坂の登り口に女人堂二十四丁の道標。女人堂まで約2.5km。


不動坂はだらだらとした坂道。学文路から歩いてきた足には応える。折しもケーブルカーがくだって来た。                                                   


十八丁二十間の道標。女人堂まで約2.0km。


十二丁五十間の道標。女人堂まで約1.4km。


清め不動堂。旧不動坂のいろは坂から移築改築したもの。


参詣者が奥の院へのお供えの花をとったという花折坂の石仏。


高野山駅へのバス専用道路と合流。


女人堂へ到着。極楽橋から1時間15分。


1904年までここから先は女人禁制だった。できるだけ奥の院に近づきたいと思った女性の参詣者たちは、この右手から女人道をたどった。

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