丸亀街道

丸亀港〜金比羅

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2014/6/23-24 K10D EOS 5D

金刀比羅宮は海上交通の守り神として信仰されている。清水次郎長伝によれば、次郎長は願いがかなったお礼に、森の石松を金比羅へ代参させる。当時から願掛けの場所でもあった。それは今も変わらないが、 筆者を含めほとんどが観光目的である。

かつて、江戸や大阪からやって来る人は大阪から船に乗り、3日3晩かけて丸亀港に着いた。

丸亀港から金比羅まで3里・12km。丸亀港を朝出発すれば、金刀比羅宮への785段の石段を上り、午前中には参拝できる。

丸亀街道にはたくさんの灯篭や丁石が残されている。これらを辿りながら金比羅をめざした。

←丸亀城址から見た象頭山(ぞずさん)。象の頭のように見えることから名付けられた。左手の中腹に金刀比羅宮がある。

■丸亀港

丸亀港。正面には塩飽諸島の広島などが見えている。


天保3年(1832)、塩原太助の寄付などによって建てられた太助灯篭。


江戸末期、丸亀港を整備した丸亀藩士・瀬山登の像。


みなと公園には天明8年(1788)の2基の灯篭。

■金刀比羅宮一の鳥居へ

寿覚院山門前の灯篭。左右に遍路道標があり、左の道標は、77番札所(多度津町の道隆寺)と78番札所(宇多津町の郷照寺)を案内している。


寿覚院山門前の灯篭のすぐそばにあったものが、すこし南へ移されていた。
明治13年(1880)の建立。 
すくこんひら 左こんひら道


金比羅までの距離を示す府中町の百四十丁石灯篭。文化5年(1808)の建立。丁石に火袋を乗せ灯篭としたもの。となりに遍路道標「四国のみち」。



 
街道から少しそれて丸亀城址へ。丸亀城址は石垣が美しい。


丸亀港から移設された百五十丁の起点石。明和4年(1767)建立。この丁
石は金比羅までの距離を示している。1丁は80m、金比羅まで12km。


街道沿いにはところどころに古い民家。


中府の大鳥居は金刀比羅宮の一の鳥居。明治4年(1871)の建立。
左に海陸安穏、右に天下泰平と刻まれている。

■金比羅へ

正面寺の自然石灯篭。万延元年(1860)建立。
                    

一里屋の灯篭と丁石。灯篭は明治7年(1874)建立。
六角形の中台に十二支で方位が刻まれている。


神野神社前の灯篭。文政13年(1830)、丸亀の商人が寄進したもの。


角下(すみしも)組石灯篭。寛政7年(1795)建立。


角上(すみかみ)組石灯篭。角下と建造年が同じなので一対と思われる。


街道沿いのうどん屋の入口には、まんのう町制作の丸亀街道の案内板。
有名店だそうだが、営業時間は昼間の3時間だけで水曜と日曜はお休み。


街道からそれるが、櫛梨神社近くに保存されているめずらしい眼鏡灯篭。
岡山藩の家中が寄進したもの。

まんのう町の自然石の灯篭と百二十四丁石。
この丁石は丸亀港から進んだ距離を示している。
丸亀港から金比羅までは150丁なので残り26丁、約2km。
丁石は目的地までの残りの距離を示すのが一般的であるが
丸亀街道では、残りの距離を示す丁石と進んだ距離を示す
丁石が混在している。                      

琴平町に入り、南に進んでいた街道は西へ向きを変える。
やがて、横瀬の石鳥居が見えて来る。


この先、JR土讃線の下をくぐり、琴平電鉄の踏切を渡ると、金比羅へ入る。
すぐ左手に地蔵堂と灯篭がある。地蔵堂は寛永7年(1854)の寄進。灯篭は
寛政10年(1798)の寄進で、竿に「金」と刻まれている。

■丸亀街道の終点
高さ27m、万延元年(1860)建造の高灯篭。このあたりが丸亀街道の終点で、金比羅側の起点である。 左手に象頭山の山頂が見えている。
高灯篭の近くに起点石があるそうだが見逃した。資料によれば、
従是丸亀江百五拾丁と刻まれているという。
万延元年といえば、森の石松さんが金比羅代参をした年とされている。石松さんはこの高灯篭を見ただろうか。