中山道

信濃路(1)

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2012/10/7 K20D

中山道信濃路には、軽井沢宿から本山宿まで15宿あった。軽井沢や国道18号線沿いは何度かたずねているが、中山道は信濃追分から国道18号線をはなれるので、今まで訪ねる機会が少なかった。今回初めて信濃追分から諏訪へぬける道を通った。  

●軽井沢(かるいざわ)宿

ショーハウスは明治21年(1888)に建てられた軽井沢で初めての別荘。 
ショー記念礼拝堂近くに移築保存されている。

芭蕉150回忌の天保14年(1843)に建立された芭蕉句碑。
馬をさへ ながむる雪の あした哉


江戸時代は旅籠だった「つるや」。


唐松林の中の中仙道。

●沓掛(くつかけ)宿

長倉神社の沓掛時次郎碑。劇作家長谷川伸によって生み出された。

草津道道標。正面は仏像、左側面に「右くさつ」


脇本陣跡、旅館桝屋本店。


本陣跡。表札には本陣土屋。

●追分(おいわけ)宿

追分一里塚。説明板に「江戸へ30里、京都へ91里14町」とある。
京都まで約359km、京都はまだ遠い遥か彼方。


浅間神社の追分節発祥地碑。碓氷峠の権現様は わしが為には守り神 
浅間山さんなぜ焼けしやんす 裾に三宿を持ちながら


芭蕉100年忌の寛政5年(1793)建立の浅間神社の芭蕉句碑。
堂々とした大きな句碑だった。 吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉


追分本陣裏門は、堀辰雄文学記念館の入口に移築されている。
当日、堀辰雄文学記念館・俣野館長にはお世話になりました。


旧堀辰雄邸。堀辰雄は、中仙道と北国街道との分岐点「分去れ(わかされ)」にある追分をこよなく愛し、この地に移り住んだ。


『信濃路』の一節が刻まれた碑。
春の大和路に往って馬酔木の花ざかり
を見ようとして途中木曽路をまわって来たら思いがけず雪がふっていた。


旧脇本陣・油屋。


高札場跡。


諏訪神社の小林一茶句碑。
有明や 浅間の霧が 膳をはふ


堀辰雄が愛した泉洞寺の石仏。


旧茶屋つがるや。


分去れ。左が中仙道、右が北国街道。いろいろな石仏や石碑がある。


御代田(みよた)一里塚。塚の上にしだれ桜の古木。

●小田井(おだい)宿

宝珠院の茅葺の鐘楼。

境内の赤松。


小田井宿本陣跡。


上の問屋跡。江戸時代末期の建築。


下の問屋跡。明和9年(1777)の大火以降に再建されたもの。

●岩村田(いわむらだ)宿

皇女和宮が野点をしたという相生の松。現在の松は3代目。

稲荷神社の芭蕉句碑。野を横に 馬引きむけよ 郭公(ほととぎす)

●塩名田(しおなだ)宿

駒形神社は重要文化財跡。

問屋・本陣跡。

復元された高札場を掲示板として使用。

佐藤家住宅は、
塩名田宿で最も古い町屋。天保2年(1831)の建造。

えびや豆腐店は江戸時代末期の町屋。

千曲川を渡る。後方に浅間山。

●八幡(やわた)宿

芭蕉句碑と大日如来像。後方に、稲刈りが終わった田んぼと浅間山が見える。
涼しさや 直ぐに野松の 枝の形 


本陣跡には本陣門が残っている。


脇本陣跡。


御牧原(みまきがはら)。奈良から平安時代にかけて御料牧場があり、朝廷へ馬を献上していたという。 


瓜生坂一里塚。


瓜生坂頂上付近。左に百万遍念仏塔。このあたりに峠の茶屋があった。

●望月(もちづき)宿

瓜生坂出口。


鹿曲川沿いの豊川稲荷。
              →岩に刻まれた白い文字に引かれて撮影した。
                下の石碑は去来の句碑ではなかった。


旅籠山城屋。


本陣を務めた大森家の玄関脇には御本陣の看板。


鹿野家・脇本陣跡。


問屋と旅籠(大和屋)を兼ねていた真山家は国指定重要文化財。


木造3階建ての井出野屋旅館は大正期の建造。御牧館という看板も出ている。市川昆監督「犬神家の一族」などのロケが行われた。

●茂田井間の宿(も たいまのしゅく)〜望月宿と芦田宿の間にあり、旅人の休み処としての機能を持っていた。


  明治元年(1868)創業の武重本家酒造は国指定登録文化財。広い敷地に30棟の建物があるという。

旧街道の側溝にはきれいな水が流れ、そばに若山牧水の歌碑があった。酒を詠んだ歌が3首刻まれている。

よき酒と ひとのいふなる 御園竹
われもけふ飲み つよしと思へり

しらたまの 歯にしみとほる 秋の夜の
酒はしづかに 飲むべかりけり

ひとの世に たのしみ多し 然れども
酒なしにして なにのたのしみ

 


高札場跡。


町並みを振り返る。


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