中山道

信濃路(2)

2012/10/8 K20D,K-7
2014/10/11 K10D
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中山道から少し南へそれた道の駅「ほっとパーク浅科(あさしな)」付近から見た風景。北に浅間山。

●芦田(あしだ)宿

本陣土屋家。

脇本陣跡。


味噌・醤油の蔵元「酢屋茂(すやも)」。


金丸土屋旅館。


笠取峠の松並木入口。


若山牧水歌碑。
老松の 風にまぎれず 啼く鷹の 聲かなしけれ 風白き峰に   岨道(そばみち)の きわまりぬれば 赤ら松 峰越の風に うちなびきつつ


笠取峠の松並木。


復元された領界石。


一里塚跡。

●長久保(ながくぼ)宿

一福処浜屋。明治時代の旅籠。今は歴史民俗資料館。

本陣石合家。


脇本陣跡。


造り酒屋だった釜鳴屋・竹内家。

旧問屋小林家。


旅館浜田屋。


長久保宿道標。
左ぜんこうじ


旅籠辰野屋・竹重家住宅。


 

●和田(わだ)宿

旧旅籠かわち屋。江戸時代末期の建築。皇女和宮も宿泊した。

かわち屋の向かいにある問屋跡。


旧旅籠大黒屋。


名主羽田家跡。


本陣冠木門。


本陣屋敷門。


翠川家・脇本陣跡。


本亭旅館。


よろずや。防火壁のうだつと土蔵が印象的。 

唐沢一里塚



江戸から51番目の一里塚。
道の両側に約9m四方の塚を築き、その上に榎や松を植えた。
和田宿・下諏訪宿間には一里塚が6か所あったが、現在はここのみ。一里塚が2基ともほぼ原形のまま残されているのは、全国的にもめずらしいという。


和田峠の接待茶屋跡(復元)。

和田宿と下諏訪宿の距離は約22km、その間には標高1531mの和田峠があり、中山道最大の難所とされてきた。
唐沢一里塚で出会った街道歩きの旅人は、無事に下諏訪まで着けるだろうかと不安気であった。


和田峠には昔ながらの草道が残っている。

●下諏訪(しもすわ)宿   関連サイト万治の石仏
和田峠を下る途中にあるのが、木落し坂。
7年ごとに行われる諏訪大社御柱祭りで、木落しが行われる場所である。
テレビで見たものより狭く感じた。



近くにある芭蕉句碑。 
ゆき散るや 穂屋のすすきの 刈残し


諏訪大社下社春宮。


春宮の隣・浮島神社の一茶句碑。
一番に 乙鳥(つばめ)のくぐる ちのわ哉


岩波家本陣跡。


甲州道中・中山道合流地点。


新鶴本店は明治6年(1873)創業の羊羹店。塩羊羹というのれんが出ている。


元禄3年(1690)創業の旅籠桔梗屋。現在も営業中。


御宿まるやは脇本陣跡。

●塩尻(しおじり)宿  関連サイト 堀内家住宅

標高1055mからの塩尻峠からの展望。岡谷市街地のむこうに諏訪湖。空気が澄んでいれば富士山が見えるという。


木曽義仲が信仰した観音が祀られている永福寺の観音堂。


旧旅籠・小野家住宅は国指定重要文化財。修復中だった。


本陣跡。


脇本陣跡。


笑亀酒造は明治16年(1883)創業の造り酒屋。


平出一里塚。近くには縄文〜平安時代の集落跡・平出遺跡がある。

●洗馬(せば)宿

中山道と善光寺道との分岐点。常夜灯がある。道標は道路改修の際に少し先の場所に移された。

右中山道 左北国往還善光寺道。

太田の清水。

大変暑い日、木曽義仲とその重臣今井兼平は長年の歳月を経て出会った。

義仲の馬は、強行軍で大変疲れ、進むことができなかった。そこで兼平は、この馬をケヤキの根本にこんこんと湧く清水につれていき、馬の脚を洗ってやったらたいそう元気になった。

それ以来、この清水を「会うたの清水」と呼び、「洗馬」の地名の由来になったという。

800年以上も前の話であるが、清水は今も湧いている。

 

<<< 2012年10月8日、日没・時間切れで洗馬宿の途中で断念したが、2年後の今回再訪することができた。 >>> 2014/10/11 K10D

 
高札場跡。すぐ近くに芭蕉句碑があった。 入梅はれの わたくし雨や 雲ちぎれ


宿場のはずれにある牧野一里塚跡。


開宿400年のノボリ。

●本山(もとやま)宿

本山宿の入口には秋葉神社の小さな社殿があり、横にいろいろな石造物が並んでいた。その中で文字道祖神と2体の小さな石仏が目に付いた。


本山宿には、国指定登録有形文化財の民家が3軒ある。
川口屋、池田屋、若松屋で、いずれも明治2年(1869)の大火後に再建されたものであるが、江戸の名残の民家ではないだろうか。


宿場はずれにある高札場跡。


日出塩の一里塚跡。

・・・・・そして、中山道は信濃路から木曽路へ。
 


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