野麦街道

野麦街道を行く

飛騨から野麦峠への野麦街道は、江戸へ通じる旧江戸街道のひとつであった。
女工たちが歩いた野麦街道を、飛騨古川から野麦峠まで、ほんの一部ではあるがたずねてみた。
■Index ■Next
2017/10/29-30 K-5Us
日本アルプスの中に野麦峠と呼ぶ古い峠がある。

かつては飛騨と信濃を結ぶ重要な交通路であったがいまではその土地の人さえ知る人も少ないほど忘れ去られた道になっている。

また「野麦」という名から、人は野生の麦のこかと思うらしいが、実はそうではなくて、峠一面をおおっているクマザサのことである。十年に一度くらい大凶作を騒がれるような年には、ササの根元から、か細い稲穂のようなものが現れて、貧弱な実を結ぶ。それを飛騨では野麦といい。里人はこの実をとって粉にし、ダンゴをつくって、かろうじて餓えをしのいできたという。

そのクマザサにおおわれた峠を、幾千幾万とも知れないおびただしい飛騨の糸ひきたちが五十人、百人と群をなして越え、島々谷(上高地登山口)へ下って、そこから諏訪湖畔の岡谷、松本、上田、佐久方面の向上へ向かった。

若い娘たちのこととて、そのにぎやかさはまるで五月のひばりのようで、騒々しくもはなやかにもみえる娘たちの行列が幾日も幾日も峠から岡谷や松本へ続いた。

みんな髪は桃割れにし赤い腰巻きをつけ、ワラジばきに木綿のハバキ、背中には荷物を袈裟掛けといういでたちで、五月春びきが終わると田植えに帰り、またすぐ夏びきに出かけ、暮れ迫る十二月末には吹雪の峠道を飛騨へ帰っていったという。

これは、1968年発行の山本茂美「あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史」の冒頭の部分である。


 

  
  野麦峠の館に展示されている野麦。
■八ツ三館(やつさんかん、飛騨市古川町)
飛騨の女工さんたちが集結してこの旅館などで一泊し、高山を経て野麦峠をめざした。また、工女募集の根拠地でもあった。


本光寺門前右手にある野麦峠記念碑と女工の像。荒城川をはさんだむこうに、八ツ三館の屋根が見えている。

  二月もなかばを過ぎると
  信州のキカヤに向かう娘たちが
  ぞくぞくと古川の町へ
  集まってきます
  みんな髪は桃割れに
  風呂敷包みをけさがけにして
  「トッツァマ、カカマ達者でナ」
  それはまるで楽しい遠足にでも
  出掛けるように元気に出発して
  行ったのでございます
    山本茂美「あゝ野麦峠」より

 

八ツ三館本館は明治38年(1905)の建造。当時の旅館で唯一残っていて、しかも現役の料亭旅館。国登録有形文化財に指定されている。

■美女峠への道(高山市)
古川、高山に集まった工女たちは、美女峠(高山市)を越え、寺附(てらつけ、高山市朝日町)の宿で泊まるか、天気がよければ中之宿(なかのしゅく、高山市高根町)まで行って宿をとることもあった。2日目は上ヶ洞(高山市高値町)に泊まり、寺坂峠を越えて野麦(高山市高根町)に泊まる。寺坂峠はいくつもの峠が続く難所だった。3日目、最大の難所である標高1672mの野麦峠を越えて信州へ入る。


高山市山口町の了心寺前に高札場があり、その右手の道が旧江戸街道で、美女峠へとつづく。


美女峠がある山が見えてきた。


橋場橋を渡る。かつては、丸太橋か木橋だっただろう。


街道沿いのりんごの木がきれいだった。


高山の町が見えるのは市道をオーバークロスするあたりまで。


関所跡付近。旧江戸街道の道標がある。ここから美女峠までは約1500m。

■野麦の集落(高山市野麦)
寺坂峠を越えた所にあるのが野麦の集落。のどかな雰囲気の集落である。


野麦の館。宿泊・食事・喫茶ができるそうだが、営業しているようには見えなかった。バス停の表示は野麦公民館前。


旧高根小学校野麦分校。現在は野麦学舎という宿泊研修施設。

■野麦峠を越える(高山市・松本市)
野麦街道最大の難所野麦峠にさしかかる。ここは飛騨と信州の境界で、信州へ向かって下って行く。


野麦街道は野麦峠で県道39号線を横断する。


「あゝ野麦峠」の碑。


供養塔。


避難小屋であるお助け小屋が復元されている。


「あゝ野麦峠」のモデルとなった政井みねと辰次郎兄妹の像。


野麦峠から野麦街道への入口。旧道はクマザサにおおわれている。左手には句碑。
工女泣きし 野麦峠や いま若葉


旧道を1300m下ると県道と合流する。この旧道は「旧野麦街道」として県史跡に指定されている。

 
旧道入口付近には、「あゝ野麦峠」の一節がプレートに刻まれた記念碑がある。一つの作品にまつわる記念碑の多さでは随一ではないだろうか。
 
しかし雪道の前進はなかなかはかどらなかった。
いくら川浦の男集でも腰まである前夜からの積雪を足でけちらして進むのでは、そうはかどるはずはなかった。
そうかといって行列の先頭に足の弱いものを立てるわけには行かない。
先頭は元気の者が選ばれて、川浦衆と一緒に工女は雪を踏み、第一番に行く人の足跡を第二番手がまた踏み、その上をさらに元気な工女たちが続く。
こうして三百人、五百人と踏んではじめてそこに道ができる。
吹雪がひときわ激しくタイマツを襲って、幾つかを吹き消して通り過ぎた。
もう誰も一言も発する者はなかった。
吹雪はタイマツと共に工女衆の歌声も吹き消してしまったのである。
ピューッ、ピューッと、鋭い刃のように吹雪が梢を通り過ぎる音が聞こえるだけだった。


比丘尼の墓。ここで行き倒れになったのだろうか。


県道と合流した野麦街道は美しい落葉松林の道。


避難小屋として造られた小さな石室は1987年に復元されたもの。左に道祖神、右に記念碑がある。


交通安全祈願で造られたもの。