大峯奥駈道

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世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の大峯奥駈道は吉野から熊野本宮大社
までとされている。

吉野の起点はどこだろうか。大峯奥駈道は修行の場であり、
靡(び)と呼ばれるチェックポイントが75か所あり、第1番の本宮大社から第75番の柳の宿(しゅく)までが設定されいる。

吉野川河畔にある柳の宿が大峯奥駈道であり、吉野には本宮大社に向かって5つの
がある。

第75番 柳の宿
第74番 丈六山(吉野神宮付近)
第73番 吉野山(金峯山寺)
第72番 水分神社
第71番 金峯神社

筆者は、下千本の吉野山駐車場から、金峯山寺、吉野水分神社を経て奥千本の金峯神社付近まで歩いた。


       金峯神社の先にある道標
        大峯奥駈道は左へ続く→

  


黒門は金峯山寺の総門で、この門ををくぐると吉野山に入ったという
実感が湧いてくる。

銅鳥居。逆光で見えないが「発心門」の額が掲げられている。
宮島の木の鳥居、四天王寺の石の鳥居と並んで日本三大鳥居。




金峯山寺は役行者が開いたという修験道の総本山。金峯山というのは吉野山から大峰山に至る山々の総称。
天正蔵王堂には巨大な蔵王権現像が安置されている。
仁王門は修理中だった。

金峯山寺の先で左へ行くと吉水神社。
元は吉水院といい、吉野山を統率する修験宗の僧坊だった。明治の神仏分離令により吉水神社と改められた。
源義経が静御前や弁慶らと隠れ住んだ場所であり、後醍醐天皇の南朝の皇居があったことから、歴史ロマンを高めてくれる。
2018/5/23 K-7 参考サイト 吉水神社


吉水神社参道。右手を下れば吉野温泉を経て後醍醐天皇陵まで30分。


階段の上に吉水神社の門が見えてくる。


右が神社、左が書院。白鳳年間建造の書院は日本最古の書院として世界遺産に登録された。
書院内は重要文化財クラスのものばかりであるが、写真撮影について宮司にたずねると、ご自由にどうぞ、とのことだった。


1185年、兄頼朝の追っ手を逃れ源義経と静御前が隠れ住んだ部屋。


1336年、後醍醐天皇が南朝の皇居とした部屋。


勝手神社の先の如意輪寺分岐から勾配がきつくなる。
左は後醍醐天皇陵、右は大峰山の道標が見える。


吉野三橋の一つ、天王橋でいったん平坦になり、花矢倉へ向けて急坂を登る。この手前に奥千本口へむかう竹林院前バス停がある。


後醍醐天皇ゆかりの御幸の芝には歌碑がたっている。
ここはなお丹生の社にほど近し 祈らば晴れよ五月雨の空


横川覚範の首塚。覚範は吉野に潜伏していた義経を追ってきたが、義経の身代わりとなった佐藤忠信に矢を浴びせられここで討たれた。


上千本の花矢倉展望台から蔵王堂を見る。


吉野水分神社楼門。


吉野水分神社拝殿。
                                       

吉野水分神社本殿。水の分配をつかさどる神を祀っている。桃山時代の建築で豊臣秀頼が再建したもの。


金峯神社の本殿。この左手奥に義経隠れ塔がある。


義経が隠れたとされるお堂は大峯修行場の一つ。
                                             
大峯奥駈道は金峯神社から山中に入り、女人結界石、青根ケ峯をすぎると道は険しくなる。

黒門あたりから竹林院あたりまでの道の両側には、旅館やみやげもの屋が並んでいる。
特に吉野葛の店が多い。筆者も葛餅と葛湯を買った。


朱塗りの吉野山大橋手前にある旅館歌藤(かとう)。


銅鳥居前の旅館さこや。本居宣長、頼山陽などが宿泊したという。


勝手神社の少し手前にある陀羅尼助丸は1300年の歴史を持つ胃腸薬。
アマゾンでも買える。


竹林院手前の急坂の途中にあるそば屋・矢的庵。
石臼引きの八ヶ岳産そばが売りになっている。


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