山陰道

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(3)津和野〜益田  
                                            
●樫実(カシノミ)峠へ 2012/6/30 K20D
津和野城下から真北へ。SLやまぐち号でおなじみの転車台を左に見て山口線の踏切を渡る。
寺田で津和野川と分かれ北西へ、岩瀬戸からカシノミ峠への上り坂なる。
                                               

山口線の踏切を渡ってすぐ左手奥にあるのが、曹洞宗の興源寺。

ここは津和野城初代城主・吉見頼行公の菩提寺である。

山門は津和野城北門を移築したもので、2007年に大修復を行ったそうだ。

興源寺から400mほど進んだところに、津和野で最も古い神社とされている稲荷神社がある。その少し手前に、「ねむり地蔵」がある。
                                                                

寝つきのよくない人や赤ちゃんの夜泣きを直してくれるという地蔵。

稲荷神社は、安永5年(1776)の創建。

500mほど進んだところに、左へ曲がる広い道があり、アジサイロードという看板が出ていたので立ち寄ってみた。

道の両側にアジサイが植えられていた。休憩できるスペースがないのが残念。


カシノミ峠の上り口。峠の頂上まで約1km。


峠の頂上付近にある馬頭観音。落石防止の金網の中にある。

旧街道は平岩という集落付近から東へ進み、商人という珍しい名前の集落から北へ山道に入る。
鬼ヶ峠を越え、やがて小瀬洞門の手前で国道9号線と合流する。

●津和野・浜田領の境界へ 2012/9/12 K10D
9号線に沿って進み、石見横田駅の先、高津川にかかる横田橋を渡ったところで9号線と分かれ東へ進む。
山口線梅月トンネル上の市道を進むと、右手に豊田神社奥之院参道の標石があり、その先に鳥居が見える。

すぐ先で山口線を跨ぐ。雰囲気のいい場所だ。近くに、益田に
SLを走らせようという看板があった。かつて、SLやまぐち号は
益田まで走ったことがあり、地元の熱意さえあれば実現できる
のではないかと思う。ここでSLを撮ってみたい。




本俣賀川にかかる郷橋を渡ると右手に梅月八幡宮がある。
                                                 
本俣賀駅近くで市道から離れ山中に入る。峠に扇原関門跡があり、ここが津和野領と浜田領の境界。

扇原関門跡には、是従南津和野領、是従北浜田領と書かれた2本の石柱があり、岸静江戦死之址の石碑がたっている。
石碑のそばの説明板には次のように書かれている。

元治元年(1864)江戸幕府と長州藩が緊迫し始めた頃、浜田藩と津和野藩の藩境にあたるこの扇原に番所が設けられたと言われる。

慶応二年(1866)六月十六日朝 大村益次郎(旧名 村田蔵六)率いる長州軍約一千五百名が横田方面からこの地にさしかかったが、
扇原関門の守岸静江国治(浜田藩)は通過を許さず、ついに戦闘が開始された。俗に「石州口の戦い」といわれ、大島口(周防大島)、
芸州口(安芸)、小倉口(九州小倉)の戦いと併せ四境戦争と呼び、第二次長州戦争の口火となった。

圧倒的多数の敵兵をまえに岸静江は仁王立ちのまま絶命したと言われ、関門を通過した長州軍は翌十七日には医光寺、勝達寺、
万福寺に布陣していた幕府軍(浜田藩、福山藩)を敗走させた。
                                 

●益田へ 2012/9/12 K10D
峠を下って市道と合流する地点の市道脇に岸静江の墓があり、坂を下りきると右手に多田温泉、その先の左手に大元神社がある。

多田温泉。

大元神社。

大元神社の先で東へそれて旧道を北進する。机崎神社の前を通り、益田川にかかる大橋を渡る。 

机崎神社は奈良時代の天平年間に創建された由緒ある神社。

大橋には、益田家の家紋「丸に九枚笹」。

益田川沿いに進み、二つ目の角を左折すると、右手に万福寺がある。

万福寺山門。

本堂は重要文化財。右手奥に雪舟庭園がある。

191号線を横断すると辰ノ口に至る。その先、旧道は青葉台団地の中で消えている。
ここは、東へ山陰道、北へ久城に通じる道に二手に分かれており、竜が口を開けたようだということから辰ノ口といわれるようになった。

慶応2年(1866)の四境戦争石州口の戦いでは、長州軍と幕府軍が壮絶な戦いをした場所である。


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