山陽道

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木野〜大野浦 05.12.14
PENTAX*istD
    
●木野この
小瀬から木野川を渡ると木野の集落。木野には昔ながらの町並みが残っている。
ここから、旧山陽道は山口県から広島県へ入る。
    

木野川渡し場跡の石垣。後方に見えるのは両国橋。

木野には古い町並みらしく側溝がある。

    
●苦の坂
木野から川沿いの道を北へ、苦の坂にさしかかる。小方への峠道は崖くずれで通行できなかった。
苦の坂入口付近の滕池ちきりいけ神社には汐涌しおわき石というのがあり、厳島神社の管絃祭の夜には汐水が涌き出てくるという。
    

苦の坂入口。長州戦役跡。

滕池神社の汐涌石。

    
小方おがた
今は苦の坂の下はトンネルで、トンネルを越えると小方の町に入る。
小方には旧街道の面影があり、町並みの入口付近には天保14年(1843)の芭蕉150年忌に造立された芭蕉句碑がたっている。
    

けごろもにつつみてぬくし鴨の足

ベンガラ格子の民家。

 

    
●玖波くば
旧山陽道は、小方から一旦山手へ山陽自動車道に沿って進み、再び海岸沿いへ向かい玖波に至る。
    

角屋釣井と高札場跡。

玖波宿の町並み。

    
●鉾の峠
玖波隧道をぐぐり、山陽本線のトンネル上の鉾の峠を越えると鳴川。右手に宮島の島影が見える。
    

旧道から山陽本線を見る。


宮島の島影。





 

鳴川の石畳。

    
●四十八坂
鳴川から再び山際へ向かい、長州戦役の激戦地・四十八坂にさしかかる。
    

吉田松陰腰掛の岩(三県一望の地)

残念社。
1866年、長州戦役のとき、幕府軍の依田伴蔵が
銃弾に当たり、「残念」と言って死んでいったこと
に由来する。
 
四十八坂は昔ながらの地道。

    
●向原
四十八坂を下り、勾配がややゆるやかになった辺りが向原。
このあたりから、今川貞世の歌碑を見かけるようになる。貞世は室町時代の九州探題で、京から九州へ下る途中で旅日記と歌を残している。下の歌碑には、「浪の上に藻塩焼くかと見えつるは蜑あまの小船にたく火也けり」と刻まれている。
    

今川貞世の歌碑。

古代山陽道の美しい石畳。

向原の石畳は保護のためにアスファルトで舗装されていて、石畳を見ることができない。ここは生活道路なので通行止めにするのは難しいのかもしれないが、この一角を史跡として保護してほしいと思う。

    
●大野浦
向原からさらに下ると大野浦。
    
大野浦駅左手には、
一里塚跡の石碑と今川貞世の歌碑がたっている。

 おほのうらをこれかととへばやまなしの
 かたへのもみじ色に出でつつ
大野浦駅の先、大野浦郵便局をすぎて、大野西小学校手前の交差点に大正九年
(1920)の銘が入った道標がある。
「右 宮島 広島道、左 宮内 妹背滝道 滝迄約十一町半」と刻まれている。ここ
は山陽道と宮島街道との分岐点。方角から判断すると、元は右手の角にあった
ものが、道路改修の際に左手の角に移されたものと思われる。

この道標から1kmほど北に大頭神社があり、境内奥に妹背の滝がある。
09/12/13 PENTAX K-7


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