薩摩街道

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(2)八代〜水俣 2011/4/2
K-7
 
●平山
球磨川を渡り、国道3号線と合流し、肥後高田駅から肥薩おれんじ鉄道沿いに進む。
駅の少し先に平山瓦窯跡があるはずだが、標識が全くない。瓦窯跡に到達するまで20分以上かかってしまった。
南九州自動車道建設工事の時に発見されたもので、江戸時代初期、八代城の前身である麦島城の瓦を焼いたものとされている。
 

瓦窯の模型。

出土時の状態。

●日奈久 ふるさとの民家・町並み/熊本県最古の温泉・日奈久   山頭火と歩く/日奈久
肥薩おれんじ鉄道沿いに3号線を進む。肥後高田の次の駅が日奈久温泉で、駅の少し先に温泉街がある。
 

日奈久温泉入口。

3階建ての旅館・金波楼。

●二見の石橋
肥後二見駅付近で鉄道から離れ、国道3号線をさらに南下する。二見本町付近では国道の東側の二見川沿いの旧道を進む。
二見川には幕末にかけられた石橋が残っている。


新免眼鏡橋は嘉永6年(1853)の建造。コンクリートでおおわれてはいるが形は美しい。

十五里跡の標柱。熊本札の辻から約60km。

旧道沿いの古い民家。
                                          

市指定文化財の赤松眼鏡橋を渡って振り返る。

赤松眼鏡橋は嘉永5年(1852)の建造。原形をよくとどめている。


国道で地図を見ながら須田眼鏡橋への道を確認していると、通りがかった軽トラックのおとうさんが降り口を教えてくれた。
坂道を降りて行くと、恐ろしくよく吠える犬が待ち構えていた。犬の前をさっと通りすぎると、後ろから5歳くらいの女の子がついてきた。
カメラに興味があるらしく、持たせてほしいと言う。1眼レフでバッテリーグリップが付いているので、小さな女の子にはちょっと無理である。
人懐っこいよくしゃべる女の子で、まわりに人家がない一軒家なので人恋しいのかもしれない。旅先で元気な女の子に出会うとこちらも元気になる。
女の子は自分のことを「あゆ」と呼んでいたので、おそらく「あゆみ」というのだろう。
あゆみちゃんとふたりで須田眼鏡橋を見てから記念写真を撮ってあげ、恐ろしくよく吠える犬の声を聞きながらそこを立ち去った。

                                                              

須田眼鏡橋は嘉永2年(1849)の建造で原形をよくどどめている。

                          

●田浦
赤松太郎峠の旧道は国道の北東側を通っている。峠を下ったところが田浦。
田浦に明治26年(1893)建造の赤松館(せきしょうかん)・藤崎家住宅がある。今は、NPO法人が運営にあたっている。

                                                             

●佐敷太郎峠
国道沿いに進み、野添から左へ旧道の坂道を登る。佐敷隧道をぬけ佐敷へと下ってゆく。


峠道を500mほど登ると野添眼鏡橋がある。江戸時代末期の建造で、説明板の横に薩摩街道の道標もたっている。
 

佐敷隧道八代側。

佐敷隧道水俣側。

●佐敷  ふるさとの民家・町並み/薩摩街道佐敷宿
峠を下って佐敷川を渡ると、旧佐敷宿。
 

佐敷本陣跡。

勝延寺の山頭火句碑。
捨てきれない 荷物の重さ まえうしろ

●津奈木 
佐敷から山中を通って再び佐敷川沿いを進む。国道3号線に沿って南下し、津奈木太郎峠を越えて津奈木の町に入る。


峠を下る途中にあるのが亀萬酒造。創業は大正5年(1916)、当時の建物が残っている。

  


つなぎ温泉前の津奈木川に重盤岩(ちょうはんがん)眼鏡橋がかかっている。嘉永2年(1849)の建造で熊本県指定文化財。

町はずれの小津奈木川に2基の石橋がかかっている。

前田眼鏡橋は草におおわれて、よく見えない。

瀬戸眼鏡橋は津奈木と水俣の境界にある。
                                         

瀬戸眼鏡橋は幕末の嘉永年間の建造で、重盤岩眼鏡橋と同じ岩永三平の作とされている。
コンクリートで護岸されているが、眼鏡橋は原形をよく残していて、筆者の好きな眼鏡橋のひとつである。
大正時代の鉄道敷設によって薩摩街道は分断され、瀬戸眼鏡橋は人目に触れることも少なくひっそりとたたずんでいる。

●水俣
津奈木のすぐ先が水俣。水俣の中心部には旧街道をしのばせるものは見当たらない。

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