薩摩街道

Index
(4)阿久根〜鹿児島 2012/1/19-20
K10D,EOS 7D
 
●西方
西方駅前を通り過ぎてすぐのところに、西方御仮屋跡がある。
御仮屋とは、参勤交代の際に大名行列の一行が宿泊した場所のこと。
少し進むと人形岩がある。
 

●上川内
人形岩の近くで海岸から内陸部へ進路が変わる。湯田町、陽成町、高城町などを通り、上川内駅付近に出る。
近くに新田神社がある。
 

参道入り口に太鼓橋。

境内にはクスの古木が多い。

●今回の旅ではじめての田の神像
川内駅前を通過し、向田町で福昌禅寺の仁王像を見て、鉄道の下を通る。この日は霧が深かった。
宮崎町で田の神像に出会い、隈之城川の土手を進むと、矢倉町の坪塚公園に突き当たる。
                                     

霧の中、
隈之城川の土手を進む。

坪塚公園の説明板。
                            
坪塚公園の説明板には坪塚のいわれが書かれている。
大化の改新の詔によって租税収入を目的として全国に班田制が施かれ、薩摩で班田の割付が始められたのは、延暦19年(800)といわれています。その班田割付のため隈之城田園に条里制による土地区割りをしたことが確認されています。条里制の単位は一辺が6町(約650m)の方眼区画でこれを36に小割りして「坪」と呼びました。坪塚はこの坪名が残った場所です。

●中原(なかばる)の治水溝
国道3号線と合流し、国道に沿って南下する。市来駅の西で国道270号線に沿って進み、「大里」という集落付近で東へ向かう。
このあたりは火山灰のシラス台地、その崩壊による被害から逃れるため治水溝が設けられた。
                                 

中原治水溝の水神碑。

中原の治水溝は嘉永5年(1852)の完成。
付近にはほかにも治水溝がある。
説明板を読んだが、治水の仕組みがよく分からなかった。

●美山
再び国道3号線 と合流し、東市来駅の先で、右へ分岐し、日置市東市来町美山に入る。
武家屋敷の面影を残す通りに面して、沈壽官窯がある。慶長10年(1605)の開窯というから400年以上の歴史を刻んでいる。
 

壽官窯の表門。現在の沈壽官さんは15代目。

大きな登り窯。

●城山
神の川にかかる大渡橋を渡り、城山の裾を進む。
 

江戸末期に岩永三五郎によって建造された
大渡橋の親柱。
文字は西郷隆盛の揮毫とされている。

城山は一宇治城の城跡で、1549年9月29日、この地で島津貴久と会見しキリスト教の布教許可を得たというザビエルの像がある。

●西田橋
遠くに桜島を見ながら、鹿児島中心部へ向かって県道206号線を下る。やがて、甲突川に架かる西田橋に達する。
かつては、江戸末期に建造された石造りの眼鏡橋が架かっていたが、今は架け替えられ石橋記念公園に保存されている。 
 

かつての西田橋にくらべると、何とも味気ないデザインの橋である。

Index