島原街道

島原   Index Next
2011/8/7 K20D

かつて島原半島を一周する形で旧街道があった。
島原から北有馬まで東海岸沿いを南下する南目道、
南有馬から加津佐まで海岸沿いを南下し、加津佐から山間部をぬけて西海岸沿いを愛野へむかう西目道、
そして、島原から北海岸沿いを愛野に至る北目道である。



長洲港から多比良港へのフェリーから見た島原半島。
左から眉山、その手前には島原市街地。雲がかかっているところに、左から平成新山、普賢岳、国見岳がある。
普賢岳が噴火したのは1990年で鎮静化するまで約5年かかった。

                                     
●島原城界隈


昭和39年(1964)に復元を始め昭和47年(1972)に現在の姿となった。お濠の蓮の緑に天守閣と櫓の白壁がよく映える。
                                  

島原城の北西にある鉄砲町武家屋敷通り。

道路の真ん中を清水が流れている。

                             
●白土町
大手門跡をすぎて大手川を渡り商店街の中を南へ進む。やがて、古い町並みが残る白土町に達する。 関連サイトしまばら散策
                            

島原城大手門跡。石垣をはう蔦の緑が美しい。

白土町には昔ながらの民家が残っている。
                                      

耳洗公園の湧水源。



白土湖は約200年前の眉山崩壊を伴う大地震の際に、この付近一帯が陥没し水が噴き出して、それが湖となったものである。当初は南北1kmの大きな湖であったが、音無川の掘削によって湖は縮小し、現在は南北200m。湧水量は1日4万トン。
 

    
●新山
旧街道は南へ桜井寺前をすぎて眉山直下へと進む。


寛政4年(1792)に発生した大地震「島原大変」を供養して2年後
に建てられた石碑は、桜井寺境内の祠の中にある。


明治25年(1892)に開かれた新山鉱泉。

民家のすぐ近くに眉山の岩壁が迫っている。

 
●水無川
水無川を渡ると深江に入る。
                         

2008年3月に廃線となった島原鉄道の安新大橋越しに普賢岳を見る。


Index  Next