東海道

宇津ノ谷うつのや

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2014/10/10 EOS 5D

静岡市側の道の駅・宇津ノ谷峠から旧東海道を坂下地蔵堂まで歩き、地蔵堂から蔦の道を通って道の駅へ戻った。
道の駅〜坂下地蔵堂1時間20分、坂下地蔵堂〜道の駅1時間20分、計2時間40分だった。


■近世の道・東海道

 
宇津ノ谷集落の敷石の坂道を登る。朝6時半、人通りはない。

 
坂道を振り返る。左の御羽織屋は豊臣秀吉からもらったという羽織があるそうだ。

 

集落の突き当たりを左へ進むと、宇津之谷隧道、通称明治のトンネル。明治9年に建造され、数度の修復を経て現在の姿が維持されている。
初代の国道1号線のトンネルであるが、現在は歩道となっている。


明治のトンネルへ行く途中から宇津ノ谷集落が見える。宇津ノ谷は丸子宿と岡部宿の間に位置する間宿だった。

 

集落の突き当たりを右へ進むと、宇津ノ谷峠越えの登り口がある。
登り口を過ぎてさらに進むと、現在は県道となっている2代目国道1号線があり、大正のトンネルが見える。
登り口へ戻り、宇津ノ谷峠の山道へ入る。

 

登り口付近の花が供えられた馬頭観音と美しい竹林。

登り口から5分ほど進むと、享保15年(1730)の銘がある俳人雁山の墓がある。
雁山が旅の途中で亡くなってしまったと勘違いして、駿河の文人たちが建立したもの。

芭蕉と同門だそうだが、どんな句を創ったのか調べてみたが分からなかった。


雁山の墓のすぐ先に地蔵堂跡があり、石垣が残っている。


登り口から10数分、あっけなく峠の頂上に着いた。


峠を下ると、南妙法蓮華経の御題目碑があった。天保6年(1835)の銘。

登り口から35分ほどで岡部側の登り口である坂下地蔵堂に着いた。



坂下地蔵堂の六地蔵+地蔵。


地蔵堂そばに、蘿径記碑(らけいきひ)という石碑があった。
蘿径とは蔦の細道のことで、江戸時代後期の駿河代官・羽倉簡堂(はくらかんどう)が古道の消滅を恐れて文政13年(1830年)建てたもの。

■古代〜中世の道・蔦の細道


坂下地蔵堂前を右へ少し戻り、堰堤がある木和田川沿いの道を進む。


10分ほど進むと蔦の細道公園。現代歌人の和歌のパネルがある。


木和田川沿いの道から蔦の細道への急坂を登る。
蔦の細道は、宇津ノ谷峠越えの最も古い道。
標高210m、勾配24度、道のり1500m。
平安時代から鎌倉時代にかけて東西を行きかう主要道路だった。

平安時代、在原業平は「伊勢物語・東下り」のなかで

行き行きて、駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つたかえでは茂り、物心ぼそく、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。
かかる道はいかでかいまする」 といふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。
駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか 鹿の子まだらに雪の降るらん
その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらんほどして、なりは塩尻のやうになんありける。

と書いているが、これが蔦の細道の名の由来とされている。


石畳というよりは石の道。


木の根道。

 
登り口から約30分。峠の頂上に、駿河なる〜の歌碑がある。ここは藤枝市の静岡市の境界である。


杉林の中の細道を下る。


静岡側の登り口。藤枝側の登り口から約50分だった。

宇津ノ谷峠から降りて、丸子宿の丁子屋をたずねてみた。着いたのは9時半、営業開始は11時だったので食べなかった。


広重の版画にも描かれいる「とろろ汁」の丁字屋。


丁字屋の植え込みの中にある十返舎一九の碑。
丁子屋に入った弥次さん喜多さんは、店の夫婦が口げんかして、ととろ汁をこぼし滑って転んでしまう様子を見て狂歌を詠んだ。
けんくはする 夫婦は口をとがらせて 鳶(とんび)とろろに すべりこそすれ


丁字屋の植え込みにある芭蕉句碑。 梅若菜 丸子の宿の とろろ汁


丁字屋の近くの橋を渡った先にある高札場跡。


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