津和野街道

戻る次へ
(2)柿木村 10/1/4 K-x  
                                                                                         
●唐人屋
津和野街道は柿木村に入り、唐人屋で大規模林道と合流する。合流地点付近に陶工李郎子(りろうし)の墓がある。
400余年前、壬辰倭乱(イムジンウェラン、文禄慶長の役)の時に、朝鮮から連れて来られた陶工が唐人焼を焼いた
ことから、唐人屋という名が残っている。
杉ヶ峠の出口付近。
真っ直ぐ進むと杉ヶ峠。
左手すぐのところに李郎子の墓がある。

●亀田の水穴
本郷から県道3号沿いを進む。亀田の県道沿いに「亀田の水穴」という看板が立っていた。説明板には次のように書かれていた。
亀田の水穴は、水田に必要な水を引き、土地を潤すためにくり貫かれた灌漑用の用水トンネルです。

亀田地域はもともと水利が悪く、かつては山を迂回し約2キロ上流から水を引いていました。しかし途中の漏水がひどく水を充分に供給すること
ができません。江戸時代の初め、この地に来た鉱山師の羽生太郎左衛門が、農民たちの苦労を聞き、山をくり貫いて亀ヶ谷川から直線的に水
を引くことを思い立ちます。資金を工面するため津和野の商人青江安左衛門に話したところ「それは結構なこと」とすぐに貸してくれ、太郎左衛門
は岩をくり貫き始めました。工事は山の両側で進められ、1645年にようやく貫通。以後、亀田地区では水不足に悩むことなく開拓も進み、現在
もなお貴重な水源として使われています。

地域の人びとは羽生、青江両方の恩を忘れまいと二人の死後、墓と祠(ほこら)を建て、300数年を経った今もなお、水穴が完成した3月18日
(旧暦時代は2月18日)になると全戸で祠の祭りを続けています。

標識と説明板。

水穴から続く水路。

●柿木の渡し
津和野を出発した参勤交代の一行は柿木で昼食をとったという。
町並みには昔日の面影があり、ケヤキ並木の終わるところに渡しがあった。

柿木の町並み。

渡し場跡付近には国道の赤い橋がかかっている。

●月瀬の旧道
旧道は国道187号線に吸収されているが、月瀬の鮎ヶ瀬バス停付近には崖の上に旧道が残っている。

旧道沿いには椎茸が栽培されている。

中央がお市地蔵。断崖から身を投げたお市を弔ったものだという。

東へ進んできた津和野街道は月瀬の先で南下し、伊豆師の集落をすぎると六日市に入る。

戻る次へ