羽州街道

矢立峠

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羽州街道は、現在の地名で言えば、福島県桑折町から奥州街道と分かれて西へ、山形県上山市から北上して青森市に至る街道である。
矢立峠は秋田県と青森県の県境にあり、峠の少し北には碇ヶ関という警備の厳しい関所があった。
峠越えには、明治期に造られた旧羽州街道と江戸期に造られた古羽州街道があり、明治25年(1892)に国道が出来るまで利用された。


大館市ホームページより引用

■青森(陸奥)側から峠へ 2009/4/23 K10D
国道7号線沿いの道の駅「矢立峠」から遊歩道を登り、伊能忠敬測量隊記念標付近で古羽州街道に合流し、吉田松陰漢詩碑を経て、
峠の北の湯ノ沢口に降りた。湯ノ沢口から矢立杉跡まで戻り、一般道を通って道の駅「矢立峠」へ向かった。
峠には雪が残っていて、雪解けと朝からの雨で道がすべりやすかった。


遊歩道上り口。


伊能忠敬の測量隊がこの峠を越えたのは享和2年(1802)8月。


頂上付近の吉田松陰の漢詩。峠を越えたのは嘉永5年(1852)、22歳。


二代目矢立杉の切り株。樹齢200年だったが1945年頃に枯れた。


湯ノ沢口の説明板。


降りるときに見かけた矢立杉跡への小さな道標。

■秋田(出羽)側から峠へ 2015/10/12 K-7
矢立峠をたずねてから5年以上が経過していた。
今回は秋田側の矢立温泉赤湯から旧国道を進み、イギリス人女性旅行家のイザベラ・バード記念碑がある古羽州街道の上り口から、
伊能忠敬測量隊記念標・吉田松陰漢詩碑を経て、明治新道(旧羽州街道)へ出て秋田側へ下り、矢立温泉赤湯付近の薬師堂へ戻った。
先日来の雨、当日も小雨模様、道がぬかるんでいて、少し歩きにくかった。


古羽州街道の上り口には最近建てられたと思われるイザベラ・バード記
念碑がある。左手の木片に、古街道跡へ上る入口と書かれている。


伊能忠敬測量隊記念標。
6年前と比べると、かなり汚れていた。


吉田松陰漢詩碑。
6年前と比べると、字がかなり読みにくくなっていた。

両山屹立如屏風 一渓屈曲流其中
山窮水極欲無路 矢立之嶺当其衝 
杉檜掩天昼亦暗 天以絶険彊二邦
聞説文政辛巳歳 津軽就藩過此際
南部故臣米将眞 糾徒欲要遏輿衛
幾日徘徊驚人視 敗露忽空数年計
地利人和両得之 自謂籌昼萬無遺
休言奇変出意外 一恃毎与百禍髄
君不聞韜ツ上乗存一句
初如処女後脱兎

このような文字が書かれている。
矢立峠の印象を詩にしたものであろう。

吉田松陰は、津軽の海岸防備を確認するために矢立峠を越えた。
松陰は5年間で13000km歩いたとされている。1年2600km。
1日30km歩いたとして、1年のうち約87日(約3か月)は旅だった。

 


明治天皇行幸碑跡。
それにしても、台座のみ残して、碑はどこへ行ったのでしょう。


明治天皇行幸碑跡から明治新道を少し北へ進んだところが国境で、
イザベラ・バードの記念標がある。彼女がここを通ったのは1878年。


明治新道を秋田方面へ下る。
昔ながらの地道であるが、道幅は旧道に比べ広い。


乗合馬車開通記念標があった。
明治新道は馬車が通れるほどの道幅だった。


明治新道の秋田側上り口。


明治新道の秋田側上り口付近にある薬師堂。