山代街道

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(8)本郷村09/12/13 K-7  
                                           
●本郷の町並み
県道59号岩国錦線を北上し、本郷川を渡ると本郷の中心部。入口にある西照寺から神田の分岐までの500mほどの町並みである。 


本郷代官所の門扉を移築した山門がある西照寺。
慶長17年(1612)に本郷代官所が現本郷小学校の地に開設された。以後260年余の間、白壁の塀に囲まれた代官屋敷の入口にあった門扉。

大正10年(1921)に当地に移設されたもので、藩政時代の勘場の姿を想像することができる唯一のものである。

本郷代官所は、山代地域一帯を統括する役所であった。最後の代官は吉田松陰の実兄杉民治であった。


教育委員会の説明板より引用
 

みよしや付近。

みよしや前の民家。みよしやの母屋だろうか。

役場は昭和17年(1942)建造の旧簡易裁判所

 

街道の片側には水路があり山からの水が流れている。

神田の分岐点。旧街道は右へ進む。

旧街道は神田で県道59号と分かれ県道134号秋掛錦線を進み、発電所の手前で県道からそれ、引地峠を越えて美和町に入る。

●十一庄屋義挙四〇〇年顕彰碑
重税軽減を訴え、引地峠で打ち首になった山代地方の庄屋11人を顕彰する石碑が町役場の向かいにある。
2009年が慶長14年(1609)の処刑から丸400年にあたることから、山代義民顕彰会が広く寄付を募って建立された。
 
山代地方の民百姓は関が原の戦いの後、萩藩から7割3分という過酷な年貢を課せられ、想像を絶する苦しい生活を強いられた。餓死するものが後を絶たず、庄屋たちは年貢軽減の嘆願書を携えて代官所へ直訴した。

後に年貢は軽減されたが、11人の庄屋たちは引地峠の処刑場で打ち首にされ、本郷川でさらし首となった。

圧制に異議を申し立てたその気構えと魂の気高さ、さらに苦しい農民の生活と命を守った「義の心」は、400年を経た現在にも通じるものがあり、その精神を後世に伝えるためにこの碑を建立する。
 顕彰碑碑文より引用

成君寺にも明治32年(1899)建立の頌徳碑があるという。

関連サイト
中国新聞/みち紀行

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