関門海峡をゆく 関門海峡の灯台  

 部埼・満珠島・巌流島・金ノ弦(かねのつる)岬・台場鼻・六連島

            kanmon-hesaki-yugure.JPG (20220 バイト)
           太陽が沈み空が茜色に染まると、海から満月がのぼった。
           1993/11/28 CanonT90/28


海峡へ東から入る船は、部埼灯台を左手に、満珠島灯台を正面に見て進み、満珠島灯台が右手横になる位置から入り、門司埼灯台を左手に見て関門橋をくぐる。

西から入る船は、六連島(むつれじま)灯台を過ぎた後、台場鼻潮流信号所の灯台を左手に見て、手向山(たむけやま)の導標を正面に見る位置から左へカーブする。彦島にあるいくつかの灯台を左手に見て巌流島灯台を通過すると、正面に関門橋が見えてくる。


関門海峡には明治期に建造された灯台が3基ある。明治4年建造の六連島灯台、明治5年建造の部埼灯台、明治33年建造の台場鼻灯台である。大正期に建造されたものは、大正7年の山底ノ鼻灯台、大正9年の金ノ弦岬燈
台、大正10年の大山ノ鼻灯台、大正13年の門司埼灯台の4基である。

満珠島灯台と巌流島灯台は昭和期の建造であるが、関門海峡の航路標識の中では重要な位置を占めている。

            kanmon-manjyu.JPG (32015 バイト)
            部埼灯台から満珠島を望む。船はここから関門海峡に入る。約800年前、
            この付近で源平壇ノ浦合戦の火蓋がきられた。
1994/7/3 CanonNewF1/85


文治元年(1185)3月24日の壇ノ浦の源平合戦がどの時刻に行われたのか、『平家物語』 、『源平盛衰記』では、卯の刻(午前6時)の早朝説、『吾妻鏡』では早朝に始まって午の刻(正午)に終わる午前説、九条兼実の日記『玉葉』では正午に始まって午後4時頃に終わったと書かれているという。

様々な人たちの研究の結果、『玉葉』の記録が正しいとされている。平家は海峡の西口、彦島沖に陣取り、源氏は海峡の東口、満珠・干珠島付近に陣取った。合戦が始まった正午頃は海流が東流れであったため平家が優勢であったが、午後3時頃からは西流れに変わり、潮流に乗って源氏が一気に平家を追い詰め、午後4時頃に平家は
全滅した。

源義経が潮の流れをうまく読み取ったことが、源氏の勝因とされているが、午後3時を境に、3時以前は平家に有利な潮の流れであったにもかかわらず、平家が勝利できなかったのは、戦力そのものに原因があったと考えたほうが自然ではないだろうか。壇ノ浦合戦の時点では、源氏の船は800艘、平家は500艘、狭い海峡の中で
は、多勢に無勢、戦力的に源氏の勝利は明白であった。

            kanmon-ganryuenboh.JPG (45611 バイト)
            彦島から巌流島遠望、低い潅木と草地の島。1995/9/9 CanonNewF1/85

巌流島は、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の島として、よく知られている。慶長17年(1612)4月12日、宮本武蔵は下関阿弥陀寺町の船宿から3時間近くも遅刻して舟島(巌流島)へ着き、櫂を削って作った木剣で佐々木小次郎を打ち倒した。

武蔵が3時間も遅れたのは相手をいらだたせるためだったとされているが、武蔵が遅れたのは海峡の潮流のため、とする説をとる人は多い。阿弥陀寺町から東流れの潮に逆らって、櫓漕ぎの船で舟島へ向かうのは困難であり、西流れの潮に変わるのを待ったとしたら3時間くらいはかかる。

今、この島へは定期船はない。10数年前から、「巌流島フェスティバル」というイベントが開催されていて、年1回、この日だけは、下関・江の浦港と門司の西海岸埠頭から臨時船が運行され、大勢の人がこの島へやって来る。

島の東端に立っている巌流島灯台は、大正3年(1914)12月10日の初点灯であるが、現在の灯台はその後再建されたものである。関門海峡を行く船にとっては非常に重要な航路標識であるが、赤と白のツートンカラーの灯台は、関門海峡の風景を豊かなものにしている。

            kanmon-ohyama.JPG (33540 バイト)
            彦島の金ノ弦(かねのつる)岬灯台から海峡越しに小倉方面を望む。
            1995/9/9 PentaxZ5p/28-70

    kanmon-daiba1.JPG (23113 バイト) kanmon-daiba2.JPG (12528 バイト)
     藍島行きの船から見た台場鼻潮流信号所。1993/9/26 CanonT90/135  1994/8/22 CanonNewF1/28

kanmon-muture.JPG (34399 バイト)
水仙の花咲く六連島灯台の夕暮れ
1994/2/19 NikonF4s/24-50
六連島灯台は、慶応3年(1867)4月、兵庫港の開港に備え、イギリスに対してその建造を約束した5灯台のひとつである。

一般的には条約灯台と呼ばれる5灯台は、船の運行上重要な地点に設置されたが、それは、友ケ島、江埼、和田岬、部埼、そして六連島である。和田岬を除いては、建造当時のままの姿で、今でも現役の灯台である。


六連島灯台は、白御影石造りで、電源は、石油、アセチレンガス、自家発電、そして海底ケーブルへと変遷している。

灯台の西側には、灯台員の官舎があったが、無線による制御に代わった時点で撤去されたが、発電所の跡らしき建物が残っている。


この灯台は、天皇が行幸した唯一の灯台であり、灯台から少し登った所に、明治5年6月12日の明治天皇行幸を記念した石碑が立っている。

六連島の西岸からは、藍島の白州灯台や大藻路岩燈標が遠く望まれ、東岸からは、台場鼻灯台越しに小倉のビル群が見える。

[関門海峡をゆく]