五箇山

平家伝説と流人の里

2004.4.30
SONY DSC-F828

Index Next


相倉集落。

上平、平、利賀の3村の地域を五箇山と呼んでいるが、その由来は、赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷間に集落があり、「五ケ谷間」を「ごかやま」と呼ぶようになった 。

倶利伽羅峠で平家が敗れたのが寿永2年(1183)で、五箇山は平家落人の隠れ里としても知られ 、南北朝時代に南朝の遺臣が逃げ込んで住み着いたともいわれている。藩政時代には加賀藩の流刑地として、また、藩の塩硝や藩札が作られたため、住民の出入りも禁止されるなど、長い間隔絶された秘境となっていた。
 

白山宮には南朝ゆかりの人もまつられている。

菅沼の「塩硝の館」では塩硝の製造工程を展示。

岩瀬家は約300年前に建てられた五箇山最大の合掌造り。加賀藩塩硝上煮役を務めた旧家で、夏は塩硝、冬は和紙作りや養蚕を行った。

流刑小屋は3坪たらずの小さなもの。