祖谷山いややま

平家伝説の山里

2004.11.23-24
EOS20D,PENTAX*istD

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平家伝説とは直接関係ないが、武家屋敷「喜多家住宅」は祖谷山でぜひたずねたい
場所のひとつ。近くに平国盛お手植えと伝えられる鉾杉がある。
寿永4年(1185)2月19日、平氏一族は屋島の戦いで源氏に敗れ、生き残った武士たちは散りじりに逃げて行った。

祖谷地方に伝わる伝説によれば、平教盛の次男平国盛は、安徳天皇を奉じ、手勢百余騎を率いて陸路東に逃れ、水主村(現大内町)にしばらく潜伏した後、大山(阿讃山脈)を越えて吉野川をさかのぼり、寒峰をよじのぼって山深い祖谷山の地に入った。

剣山の麓、大枝にたどりついた国盛らは、名主の屋敷を襲って立てこもり、付近の住民を帰服させながら勢力を伸ばしていった。国盛は後に住居を阿佐名に移し、承元2年(1208)、祖谷山に入山して20年余の後、この地で息を引き取った。それから後も国盛の子孫は代々この地に住んで阿佐を姓とするようになるのである。

 〜東祖谷山村ホームページより抜粋



   


喜多家住宅は1763年建造で祖谷地方最大規模の屋敷。
鉾杉、別名国盛杉、樹齢約800年、徳島県指定。→
平国盛が鉾をおさめ建立したという鉾神社境内にある。


 


樹齢約800年のもくせいが立つ西祖谷山村の平家屋敷。
安徳帝の御典医堀川家の屋敷で、八幡大菩薩の赤旗が残っている。
平家の侍が山からかずらを取って来て編んだというかずら橋。→
すぐ近くに、京をしのんで琵琶を弾いたという琵琶の滝がある。



阿佐家は平国盛の直系の子孫と伝えられ、現在は第23代当主が
居住、大小2枚の平家の赤旗(軍旗)や刀が残されているという。
残念ながら、茅葺きからトタン板に葺き替えられたてしまった。

   


平家一族が、剣山山頂の馬場での訓練に通うため設けられ、いつ
でも切り落とせるようにシラクチカズラで作られた。女橋、男橋
の2橋があり、奥祖谷二重かずら橋と呼ばれている。
   

国道439号線から剣山山頂付近を見る。見ノ越からリフトを使え
ば山頂まで1時間。安徳帝の剣を山中に隠したという伝説がある。

見ノ越から剣山(標高1955)に次ぐ四国第2位の三嶺(標高1894)を
見る。祖谷山へ逃れた平家もこの風景を目にしたことだろう。