落折おちおり

全戸平家姓の落人村

2005.4.24
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不動院岩屋堂は、落折の集落から5kmほど下流にあり、国指定の重要文化財。
この修験道寺院は大同元年(806)飛騨の匠が建築したもので、豊臣秀吉来攻のと
き兵火にかかり焼失し、この本堂だけが焼け残ったと伝えられている。
   
寿永 3年(1184)、一ノ谷の合戦に敗れた平経盛らは、郎党20人余りを従えて中国山地をさまよい、現在の若桜町落折にたどり着き、その奥山にある洞窟に隠れ住んだ 。

ある日、見張りが退屈なあまり敵の来襲を知らせる合図の笛を吹いたため、経盛らは洞窟の中で互いに刺し違えて死んでしまった。

経盛は清盛の弟で、一ノ谷で戦死し能「敦盛」で知られる平敦盛の父である。笛を好み和歌も巧みだった。

落折の集落は、鳥取県と兵庫県の県境近く、戸倉峠の麓にある。現在は、国道29号線が戸倉トンネルで県境を結んでいて、落折の集落は国道のすぐそばにある。

集落の16戸すべてが「平家」姓であるが、姓が「平」ではなく、「平家」というのが不自然だというのが素直な感想である。

集落の入口付近で写真を撮っていると、近所の奥さんに声をかけられ、家に招き入れられて、飲み物をいただきながら話をした。もちろん、奥さんも「平家」さんで、他の集落からから嫁いできたのではなく、落折の生まれ育ちだとのことだった

   

県指定の「落折のイチイ」は枯れていた。

イチイのそばにある塔は経盛の墓とのこと。

「平家」の文字の表札。


平経盛隠棲の洞窟は集落から落折川沿いの道を約500mの所にある。


落折川の雪解け水は豊かで澄んでいた。