菅浦

湖北のかくれ里

2002.5.23
CAMEDIA E-100RS
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奥琵琶湖パークウェイから見た菅浦の集落。
     
 


大浦から入りくんだ湖岸の道に沿ってゆくと、三十分余りで菅浦に着く。入口に村の境界の門があり(これは東にもある)、もうその辺から普通の村とは趣がちがう。

二百軒たらずの寒村ながら、神社を中心にいくつもの寺が並び、昔はほとんど村全体が境内だったような印象をうける。

菅浦の住人は、淳仁天皇に仕えた人々の子孫と信じており、その誇りと警戒心が、他人をよせつけなかったのである。

木地師には惟喬親王が、吉野川上村には自天王が、そしてここには淡路の廃帝が、ひとつの信仰として生きているのはおもしろい。おもしろいといっては失礼に当るが、神を創造することが、日本のかくれ里のパターンであることに私は興味を持つ。(白洲正子『かくれ里』)


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斜めに貫いているのが須賀神社の参道、参道の尽きる先
に、淳仁天王の陵墓がある。中央に見えるのが海岸沿い
の道路で、右手前で行き止まりになっている。
この道を寅さんも歩いた。

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東の四足門から琵琶湖を見る。 須賀神社の茅葺きの社殿。 菅浦郷土史料館の能面と神楽面。
   
その日は、マキノ町の在原の茅葺き民家集落や海津の町並みをたずねたのち、湖岸沿いに菅浦へむかった。やや曇っているため、琵琶湖はかすんで見える。ブラックバスを釣る人たちの姿がちらほら。釣り客はあまり歓迎されていないようで、菅浦には、釣り客の車は駐車禁止の看板が立っていた。

菅浦の先は行き止まりである。集落に入る少し手前で奥琵琶湖パークウェイへの道が分岐しているが、道はふさがれていた。菅浦の集落を俯瞰したかったので、郷土史料館でたずねると、「崖崩れのため通行止めになっている。反対側からは入れるので、菅浦を見渡せる」という。

かなり遠まわりになるがせっかくここまでやってきたので、反対側からパークウェイに入ってみることにした。反対側にも通行止めゲートがあったが、菅浦の集落が見渡せる場所は通行禁止区間にあるようなので、車を置いて歩いた。10 −15分くらい歩いたであろうか。左手に菅浦の集落が見えてきた時はうれしかった。このあたりは桜が多い。桜の花越しに見える菅浦の集落を想像してみた。