大きな背中をこちらに向けて、夫が台所に立っている。時折、振りかえり、食卓の上に広げた料理の本をのぞきながら「作り方が載っていないと、やっぱり作れないね」と、コタツで横になっている私に、テレたように笑いかける。

 昨年の夏から秋にかけて、私は胃かいようの手術で、三ヵ月間、家を留守にした。この間、夫は中一と小四の子どもたちと家事を切り盛りしてくれた。泣きながら入院した私をふびんがってか、出張や会議で時間の都合がつかない日を除いて毎日、病院に来てくれた。

 退院しても、体力がなく、風邪をこじらせて寝たり起きたりの私にかわり、土・日曜日は”主夫”となり、普通の日も、帰宅するや背広をぬぐと「バトンタッチ」と言って、料理の続きをしてくれた。「春になれば、春になって風邪さえなおれば、私も”主婦”に戻れる。そのときまでよろしくね」と、夫の背中に語りかけた。

 春の足音がかすかに聞こえてきた三月上旬。「肝臓が悪くなっています。入院して下さい」という定期検査での主治医の声。

「いつまで俺は”主夫”をするのかね」と言われたら、返す言葉はないけれど、「お互いさまだよ。点滴を受けながら、しばらく病院で本でも読んでおいで」と言ってくれる夫の言葉に、私は涙が止まらなかった。

                                           織田美保子遺稿『風を愛したひと』(1985年/葦書房)より「夫」

 
 

  

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