私の好きな建築

 今までに、日本全国のいろいろな建築物をたずね歩いた。特に印象に残っている
 建築物を、おとずれた時の思い出とともに、少しずつ掲載したいと思う。 2018/10/5


■西洋料理・明治の館(旧ホーン家別邸)/栃木県日光市山内/明治後期/石造 ・木造2階建/国登録有形文化財
 
1995/5/6 Nikon F4 関連サイト 明治の館

1995年のゴールデンウィークを使って、北陸、東北、関東、中部をめぐる9日間の旅に出た。
主な目的は、桜と西洋館を見ることだった。8日目は、白河、日光、宇都宮だった。
日光で立ち寄った「明治の館」のさわやかな印象が今も思い出される。


登録有形文化財に指定されるほどの建物なのに、はっきりした建築年が分からない。
ネットで検索すると、明治後期とか明治末期とか書かれている。
レストランとして活用されるようになったのは1977年。おとずれた時は開業から20年ほどだったが、今では開業から40年以上が経っている。

■尾形石灯標/広島県江田島市江田島町切串/1904年/石造
 
1993/12/17 Canon T90

尾形石灯標は、広島県江田島の切串半島の先端から300mくらいの所にある。江田島の切串と広島市宇品を結ぶフェリーからも見ることができるが、半島の先端付近にある浜辺から見たかった。

半島には、中国化薬尾形石分工場があり、基本的には立入禁止である。今であれば立入は絶対に無理であろうが、当時は今より緩い時代で、あまり深刻には考えずに、行けば何とかなるだろうと思った。

途中まで、車が通れる道幅の道路があるが、その先は山越えとなる。山を越え、どきどきしながら工場の敷地へ降りて行った。建物の間を歩いていると管理人と思われる人に出会った。退去を命じられるかと思ったら、尾形石灯標を見たいと必死で訴えると、浜辺へ案内してくださった。

浜辺への土手を乗り越えると、灯台員の官舎跡と思われる3棟の建物があり、そばに火薬実験のために空けたという直径30mくらいの大きな穴があった。夕暮れ時で、冷たい風が吹いて、ちょっと不気味だった。地図を見ると大きな穴は今もあるが、火薬実験が行われているかどうかは不明。

波打ち際から見る屋形石灯標は美しかった。夕暮れまでのしばしの間、海の風景を味わう余裕もなくシャッターを押し続けた。

なお、尾形石灯標は、現存する明治期灯台66基のひとつ。
ハイテク機器のない時代から、この灯標のおかげで、船が半島付近の岩礁にぶつからずに航行できている。

関連サイト
現存する明治期築造の灯台一覧


 
 




■旧開智学校校舎/長野県松本市開智/1876年/木造2階建/国指定重要文化財
 
1996/4/26 Nikon F4

1996年春の5日間の旅は、洋館、一本桜、双体道祖神を見ることが目的だった。
大阪までフェリーで行き、4日間を長野県内で過ごし、最終日を奈良で過ごしてフェリーで戻った。
大阪からひたすら松本をめざし、最初にたずねたのが旧開智学校だった。

当時の大工が東京や横浜の西洋建物を見てまわって建てた擬洋風(ぎようふう)建築の代表的なものである。
旧開智学校校舎は実に華やかで美しい建築である。



■旧下野(しもつけ)煉瓦製造煉瓦窯/栃木県野木町野木/1890年/煉瓦造り/国指定重要文化財
 
1997/7/20 PENTAX Z5

1997年の梅雨明けの頃、関東の洋館をたずねた。
JRのレイル&レンタカーという割引を利用し、寝台特急「富士」で横浜まで行き、レンタカーで、神奈川、埼玉、群馬、栃木、千葉を5日間でまわった。

当時はまだカーナビが普及していなかったので、目的地に到達するのに時間がかかった。
現在のような高精度のカーナビがあれば、もっと効率よくまわれたのではないかと思う。

埼玉に入ったあたりから天気が安定し、2日目から5日目まで晴天に恵まれた。
下野煉瓦製造の煉瓦窯(当時はシモレン煉瓦窯とよばれていた)をたずねたのは、3日目だった。青空の下で見る煉瓦窯は美しかった。

すでに1972年に煉瓦製造は中止され、おとずれたときは敷地が乗馬クラブとして使われていた。
2015年に貴重な産業遺産を後世に伝えるため補修工事が行われ、展示館が開館したそうである、


煙突の倒壊を防ぐため、ワイヤーで固定されていた。現在はワイヤーが撤去されているそうなので、もっと美しく見えるだろう。


■屋久島灯台/鹿児島県屋久島町永田/1897年/煉瓦造り
  
1995/7/24・1995/10/7 PENTAX 67

縄文杉を見たくて、鹿児島からフェリーで種子島経由4日間の旅を計画したが、種子島で台風に遭遇し2日足止めされた。
台風が通過した日、車が4台しか載せられない小さなフェリーで種子島から屋久島へ渡った。
翌日縄文杉に挑戦するが、台風通過後の湿度の高い暑さで断念し、おまけに下山途中で足をくじいてしまった。

このときに立ち寄ったのが屋久島灯台だった。
建築物の多くは町中にあり建物中心の写真になるが、風景を生かした写真が撮れるのは灯台が一番ではないだろうか。
屋久島灯台に立ち寄ると、灯台は内部を開放中で、係の人にたずねると屋久島灯台が見えるポイントは3か所あるという。
その中で、西部林道から見る屋久島灯台の風景が最も好ましく思えた。

縄文杉へはその年の10月に再挑戦し、往復10時間の登山で縄文杉に対面することができた。


夕暮れが迫ってくると灯台に明かりが灯る。赤く染まった空の下に、口永良部島(くちのえらぶじま)が浮かんでいる。1995/7/24


縄文杉へ到達した翌日、屋久島灯台をたずねた。斜面の木が紅葉していた。口永良部島は霧で見えなかった。1995/10/7

■函館ハリストス正教会復活聖堂/北海道函館市元町/1916年/煉瓦造り平屋・一部3階/国指定重要文化財
 
1996/7/6 Nikon F4

1996年、本州の梅雨をさけて北海道に向かった。函館、小樽、札幌などの西洋建築をたずねる9日間の旅だった。
福岡空港から函館空港へ。函館空港付近でレンタカーを借りて、道南・道央をぐるっとまわり函館へ戻った。
函館ハリストス正教会を撮影したのは8日目の夕方だった。

撮影場所を探して坂道を登っているときに、CHACHAという店を見つけた。その店の庭からはハリストス正教会が眼下に見える。
庭に三脚を設置して、食事を運んでもらい、食べながら撮影した。とてもぜいたくな時間だった。
今もCHACHAという名の3階建ての宿泊施設がある。同じ場所なので、業態を変えたのだろう。

CHACHAで、北見から鈍行列車でやって来たという青年に会った。
北見はオホーツク海沿いの町。乗り継ぎ時間を考えると丸1日以上かかたのではないかと思う。
当日は土曜日だったが、金曜日に自宅を出て、ゆっくりと列車の旅を楽しんだのだろう。
そして、オホーツク海沿いを旅したいという筆者の思いは、10年後の2006年に実現した。


函館湾をバックにライトアップされた函館ハリストス正教会。右手の黄色にライトアップされた塔は元町カトリック教会。

■大阪市中央公会堂/大阪府大阪市北区中之島/1918年/煉瓦造り・地上3階地下1階/国指定重要文化財
 
1994/11/18 Nikon F4

関西での仕事の帰りに立ち寄った。日帰り出張だったので、夜の時間帯に入るだろうと思い小さな三脚を持参した。
午後、京都国立博物館を見て大阪へ、中之島の大阪市中央公会堂と大阪府立中之島図書館、堂島川の水晶橋をたずねた。
大阪市中央公会堂に到着した時には日が暮れて小雨が降っていた。



石畳に水たまりができていて、ドームが映っていた。


下から見上げる。


側面から見上げる。
屋根に円形の窓(ドーマー窓)が並んでいる。

   


約2週間後、昼間の姿を見たくて再びたずねた。 大阪中之島から京都へ、河原町あたりの建築を撮影した。1994/12/3 Nikon F4
この頃は仕事が暇だったのかよく出かけている。お金は、ほとんど旅費とフィルム代に使っていたようだ。


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