失われた鉄道

1975年は貝島炭鉱鉄道の廃止が翌年に迫っていて、西鉄福岡市内線よりも優先して撮影していた。貫線・城南線・呉服町線の廃止直前になってようやく撮影に出かけた。1975年10月27日と31日である。

貫線で撮影しているが、撮影記録を残していないので撮影場所がどこなのか分からない写真が多い。電車の写真集やネット検索で場所の特定ができたものがあった。

西鉄福岡市内線1975

昭和50年・1975年は、「昭和枯れすすき」や「シクラメンのかほり」がヒットした年で、まだ裕福な時代ではなかったが、戦後30年から新しい時代への転換点だったような気がする。

西鉄福岡市内線は6路線、総延長約29kmだった。1973年に吉塚線が廃止され、貫線・城南線・呉服町線の廃止が11月2日に迫っていた。
     

西鉄福岡市内線のファーストカット、博多駅前ではないかと思う。室見橋行きと貝塚行きが離合している。

■平和台
1975/10/27
平和台には平和台球場があり、西鉄ライオンズのホーム球場だったが、この時点では太平洋クラブライオンズのホーム球場になっていた。


電車の写真を撮っていると、ボーイスカウトとガールスカウトの一団がやって来た。


電車が走っている国道のすぐそばに旧福岡城の濠があり、濠端で少年たちが何か食べながら楽しそうに話をしていた。

■万町(西鉄グランドホテル前)
1975/10/27
万町電停近くには、カトリック大名町教会があった。
1896(明治29)年に赤レンガ聖堂が建てられ、1938年(昭和13)年には、赤レンガ聖堂が手ざまになり木造の聖堂が建てられ司祭館も落成した。
1975(昭和50)年当時、このふたつの聖堂が健在だった。
1984(昭和59)年、赤レンガ聖堂は解体され、
久留米聖マリア病院付属聖堂として復活した。現在も久留米にあると思うが、25年以上たずねていない。
1986(昭和61)年、木造聖堂での最後のミサが行われたのち解体され、現在の聖堂であるカトリックセンターが落成した。


左が赤レンガ聖堂、右が木造聖堂。なんで、こんな窮屈な撮り方をしたのか分からない。今なら、横位置で広く撮っただろう。

■天神 1975/10/27
貫線と循環線が交差する天神は、今も昔も九州一の繁華街。
近くにあった予備校に1年間通ったが、受験生にとって天神はただ通過するだけの街だった。




女性の服装が時代を感じさせる。


次の電車を待つ人。


貫線と循環線が交差する。岩田屋屋上から撮影したものと思われる。

■県庁前 1975/10/27
天神のすぐ東、天神という地名の由来となった水鏡天満宮があり、その向かいに県庁舎があった。


水鏡天満宮境内から電車通りを見る。


県庁前電停。向うに見えるのが福岡県庁舎で1915年の建造。県庁は1981年に移転し、旧庁舎は取り壊された。
1980年代には、このような貴重な建物が数多く取り壊されている。実にもったいない。


少し東へ進むと、天神橋近くに1912年建造の大同生命ビルがあった。この建物は、「明治の館」としてグリーンピア八女で活用されている。

■愛宕下 1975/10/31
室見橋〜姪の浜は単線のためタブレット交換が行われていたようだが、タブレット交換を全く撮影していない。


たいへん窮屈な構図であるが、愛宕神社の鳥居と古い家並みを同時に写しこみたかったのであろう。

■西新 1975/10/31
西新では貫線と城南線が合流する。


千鳥屋があり、建物に土蔵造りのような風情があった。今もこの建物を補修して使っているようだ。
偶然にも、電車と並んで西鉄運輸のトラックが停まった。西日本相互銀行(現西日本シティ銀行)の看板もなつかしい。


うしろの建物は1936年建造の元福博電車の本社。1942年の西日本鉄道発足時の本社で、のちに西電車営業所として使われていた。

■花電車 1975/10/31
貫線・城南線・呉服町線の廃止を目前にして花電車が運行された。






夕方になり電飾が明るさを増してくる。沿道ではたくさんの見物客にむかえられていた。なぜか、自転車の少年が多い。

■その他 1975/10/31
どこで撮ったのかわからないが、舗装されていない歩道があり、ひなびた感じのいい路線である。
一番下の写真に「大学病院前」というプレートが見えているので、貫線の大学病院前より東で撮影したものではないかと思う。







1976年にも一度来ている。3歳の息子を博多まで新幹線に乗せるのが目的で、そのついでに貝塚に立ち寄った。


ゼロ系が小倉駅に進入する。

当時の息子はまん丸い顔をしていた。

 
 貝塚駅。息子と二人で見た風景。


踏切には、パトカーが通り、女学生も通る。