失われた鉄道

1980年暮れに小倉から門司へ転居したが、住いを門司へ移した理由は、「関門海峡がある」からだった。もうひとつの理由は、「路面電車が走っている」からだった。船の汽笛と電車の音が聴けるからだ。

期待に違わず、関門海峡と路面電車のある生活環境は素晴らしかった。転居から3年半後につらい別れがあり、5年後に門司から路面電車が消え、門司はさびしい街になった。

西鉄北九州線門司〜砂津

門司から折尾まで、北九州を東西に結ぶ全長約30kmの西鉄北九州線が開通したのは、大正3年(1914)のことである。交通手段の少なかった時代から車社会の現代まで70年余にわたって市民の足として活躍したが、1985年10月20日、門司・砂津間が廃止された。
    
門司へ転居する前年の1979年3月12日に門司へ撮影に来ている。当時は白黒フィルムを使っていた。


小倉と門司の境界、国道3号線の手向山トンネル。門司へ転居してから、小倉への通勤の際にこのトンネルを車でくぐっていた。
1941年の竣工で、この当時は石造りの雰囲気を残していたが、2001年にコンクリートで改修された。


市立門司病院前電停。降りてくる女学生が宙に浮いている。
右上に見えるのは病院の駐車場の車。
1970年代後半には本格的な車社会が到来していた。その結果、電車が廃止へと追いやられていった。



車のミラーに映る電車を見る。
当時のサイドミラーは、ドアではなくボンネットに付いていた。


市立門司病院前から小森江へ下る坂道。狭い道を車と電車が行き交う風景が好きだった。
道が狭いので安全地帯を設けるスペースがなく、どこが電停なのか分からなかった。


門司終点。左の電車は到着したばかりで、乗客が降りている。右の電車は出発待ちで、中央町経由で枝光線の幸町行き。
電車の間に甲宗八幡神社が見えている。さらに後ろの建物は学校だと思うが、今はない。

以下は、1980年暮れに門司へ転居後に撮影したもので、カラーポジフィルムを使用している。
バブル景気がはじまるのが1986年暮れであるが、1980年代に入ると給料も増えつつあり、カラーポジを使えるようになっていた。


門司線終点での折り返しのひととき。1981/5/17


小森江付近はアップダウンが大きい。1981/5/24


小森江付近は道幅が狭く、電車が通ると車が通るのがぎりぎりだった。1981/5/24
正面に見える商業施設の向うにある団地に住んでいた。最寄りの電停は大里東口だった。

家のすぐ近くを走る路面電車はあまりにも日常的な風景で、ほとんど撮影していない。
以下の画像は、1985年10月19日に撮影したものである。


門司終点付近、背後に金色に光るパゴダが見える。


広石付近では、関門海峡と関門橋がよく見えた。


手向山トンネル付近。むうが門司、こちらが小倉。


西日に光る片上のカーブ。


電車に掲げられたメッセージボード。