失われた鉄道

1980年11月2日、最初に廃止されたのが北方線だった。つづいて、枝光線 、戸畑線、北九州本線の砂津・門司間が1985年10月20日に廃止され、1992年時点では北九州本線の砂津〜折尾を残すのみとなっていた。

1992年10月末に北九州本線の砂津・黒崎駅前間が廃止されるまで、何度か撮影に出かけた。中学時代は荒生田電停付近、高校時代は前田 電停付近に住んでいて、通学に電車を利用していたので、北九州線本線はよく慣れ親しんだ路線だった。

西鉄北九州線2 北方線・北九州本線

1980年時点では北九州線は完全な姿であった。
北九州本線 門司〜折尾  54駅 29.4km
北方線    魚町〜北方  12駅  4.6km
枝光線    中央町〜幸町  9駅  4.8km
戸畑線    大門〜戸畑  10駅  5.5km
     
■北方線 1979/3/5 撮影


三萩野付近。キャバレー「新世紀」の看板は記憶に残っている。
北方線が廃止になったのは、小倉南区から門司へ転居する1か月ほど前だった。

廃止になる日の夜、妻とふたりで北方線最後の電車を見送りに行った。その時何枚か写真を撮ったが、フィルムを見つけられなかった。

妻は、その夜のことを「夫婦」と題した短い随筆に綴っていた。抜粋なので妻の意図が伝わりにくいとは思うが、その一部を引用する。

(前略)………
先日の北方線電車の運転最終日、夜十一時を過ぎて帰ってきた主人が、「廃車式へ行こう、歴史的瞬間に立ち会おうじゃなかい」と言う。私はすでに風呂に入ってガウン姿であった。「今から……」の言葉を着替えの服に包みこみ、主人のあとに従った。

廃車式は予定の時間を大幅に遅れていた。まだ走っている電車を求めて、車で走った。カメラを手に走る主人におくれまいと、私は群衆の中をチョロチョロとかけまわった。

結婚生活の中で、怒ったり泣いたり笑ったり、あるときは私が大きな顔をして指図したり。それでも廃車式の日の姿のように、主人のあとから着いて来た。
………(後略) 
(「風を愛したひと」より)


北方終点。朝の光に、すり減った敷石がいい感じである。 1979/3/5撮影、以下の写真も同日撮影。
ここは旧国道322号線、車が通行しやすいように、以前あった安全地帯が撤去されていた。乗客にとっては危険地帯。



北方一丁目ではないかと思う。
右の323形は北方線用に2両のみが製造された。この324号は筑前山家駅前に保存されていたが香椎花園に移設された。



片野付近。このあたりも道幅が狭かった。左の車は軌道敷内を通行している。

■北九州本線

●八幡駅前


駅を降りると正面に皿倉山が見える。1981/5/3


駅前には小公園があった。1992/10/11


駅前は商業施設がないせいかとても静かだった。
1992/10/11
近くにある村野藤吾設計の旧八幡市民会館は保存が決定したそうだ。住民税の一部が建物保存に使われるのであれば、北九州市民として異存はない。

●大蔵


大蔵電停から河内貯水池へ行く途中に、筆者が通っていた高校があった。大蔵はなつかしい場所である。1992/10/11

●下到津


下到津の陸橋から八幡方面を見る。後方に皿倉山。1983/3/5


同じ場所付近から見た夕暮れ。1992/10/16

●下到津〜金田の陸橋
日豊本線にかかるこの大きな陸橋を渡って来る電車は絵になった。当時の記録によると、キヤノンF1+300o望遠レンズで撮影している。1992/10/16


朝、下到津側から金田方を見る。


夜、下到津側から金田方を見る。


午前中、金田側から下到津方を見る。


夕方、金田側から下到津方を見る。


春のうららかな日差しの中を走る。1979/3/21
カラー写真の10年以上前に撮影したものであるが、古色がただよっている。

●夜の魚町電停


市民の足として夜遅くまでたくさんの人に利用されていた。1992/10/16