磨崖仏の魅力

福岡県添田町 2015/4/12 PENTAX K-7  参考サイト 英彦山登山コース案内
英彦山神宮奉幣殿から鬼杉への道を約35分、左手に智宝社という額の鳥居がある。鳥居をくぐって急坂を数分ほど登ると祠があり、中に石仏が刻まれた岩が安置されている。左手上方には三仏の大きな梵字が刻まれている。右手上方の鎖をよじ登った先には2体の磨崖仏がある。

英彦山の磨崖仏


➊奉幣殿から20分ほどで坊跡。苔むした石段と石垣が美しい。

➋石垣から5分ほどで、玉屋神社の分岐。ここを左へ進む。


➌玉屋神社の分岐から10分ほどで
智宝社の鳥居。
  鳥居をくぐって正面に小さく見えている朱色の祠をめざす。




 
智宝社の祠の格子戸の隙間からのぞくと、黄色い苔が生えた大きな岩がある。 最初は何なのか分からなかったが、よく見ると石仏が刻まれている。
2015/7/3 再取材


祠のすぐ上にある梵字岩。世界最大の梵字で直径約3m。左から、大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来。線彫りなので大きさの割には重厚感がない。
高さは60mくらいあり、下からは登れない。上からロープを吊り下げて彫ったのだろうか。


崖にある錆びた鎖を伝ってよじ登った先にある磨崖仏。高さ約130cm、光背まで入れると約170cm。
右手奥にノミ跡のようなものが見える。左手には、「大勧進」ではじまる文字が刻まれている。→説明板拡大図


 この事業の勧財、勧募に務めたのは金剛仏子□□
 一字書く毎に三度の礼をしてお経(法華経)を書写した
 石面に阿弥陀三尊を彫刻した
 三面権現のための建物を立てた
 岩壁面に円形の月の輪をつくり梵字を刻んだ
 右の志は僧慶春や諸先輩のため
 そして貴賊をわかたず一切の精霊の為に後世に極楽に生まれること
 また誰にでも平等に後利益があることを供養した
 嘉禎三年六月中旬
 清筆両界院門
 金剛仏子の層
 妙文房


「嘉禎三年六月中旬」と刻まれているので、鎌倉時代初期の1237年に造られたものである。英彦山の歴史の古さを再認識した。
文中に阿弥陀三尊という記述があるので、この像は勢至菩薩で、その右に阿弥陀如来と観音菩薩が彫刻されていた。
観音菩薩は昭和58年(1983)に発見され下の祠に安置されている。
阿弥陀如来は行方不明、この付近のどこかに埋まっているはずである。
もし阿弥陀三尊が完全な形で残っていたならば重要文化財級の価値があるだろうが、今はここに立ち寄る人は少ない。


左下、直径90cmくらいの月輪の中に僧形坐像が彫られている。
持参した24mmでは、引きがないのでこれ以上広く撮れなかった。


僧形坐像の奥にある空間は新熊野(いまくまの)窟。
この上方に梵字岩がある。左手は断崖でこれ以上は危険で進めない。

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