万葉の旅

網の浦

2014/5/24
EOS 5D/24-105
讃岐の国の安益(あや)の郡に幸(いでま)す時に、軍王(こにしきのおおきみ)が山を見て作る歌
 霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣き居れば 玉だすき 懸けのよろしく
 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に かへらひぬれば ますらをと 思へる我れも 草枕
 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心 巻1−5
   反歌
 山越しの 風を時じみ 寝る夜おちず 家にある妹を かけて偲ひつ 巻1−6
   右は、日本書紀に検すに、讃岐の国に幸すことなし。また軍王もいまだ詳らかにあらず。
   ただし、山上億良大夫が類聚歌林に曰はく、「記には『天皇の十一年己亥の冬の十二月己巳の朔の壬午に、伊予の温湯の宮に幸す云々』といふ。
   一書には『この時に宮の前に二つの樹木あり。この二つの樹に斑鳩と比米との二つの鳥いたく集く。
   時に勅して多に稲穂を掛けてこれを養はしめたまふ。すなはち作る歌云々』といふ」と。けだしここよりすなはち幸すか。
舒明天皇が伊予へ行幸しての帰途に、讃岐に立ち寄った際に、軍王が都に残してきた妻を偲んで詠んだ歌とされている。
注釈には、舒明天皇は讃岐へは行っていないし、軍王という歌人のこともよく分からないと書かれている。




81番札所白峯寺へ向かう途中に「下乗」の碑が立つ空き地があり、そのすぐ先に展望台がある。
展望台からは、網の浦とされる海岸が見渡せる。手前の田んぼはかつては海で、製塩が行われていたようだ。遠くには瀬戸大橋が見える。
展望台そばの桜の木の下に、万葉歌碑と万葉時代の網の浦の地図が刻まれた碑がある。


 

網の浦とは無関係であるが、麓にある史蹟をたずねた。

讃岐国庁跡に立つ石碑。
平安時代、菅原道真が国司として4年間赴任していたという。

讃岐国庁跡のすぐ近くに、崇徳上皇が飲用したという内裏泉がある。
平安時代末期、保元の乱に敗れた崇徳天皇は讃岐に流された。


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