万葉の旅

浅茅あさぢの浦

2015/5/11
PENTAX K-7

対馬の嶺は 下雲あらなふ 可牟かむの嶺に たなびく雲を 見つつ偲はも  巻14−3516 防人の歌
対馬の山は低いので下に雲がない。故郷の神の山にたなびく雲を思い出し妻を偲ぼう。

663年、白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に大敗した大和朝廷は、新羅・唐の侵攻に備えて筑紫・壱岐・対馬の国防体制を強化した。
対馬では667年に金田城が築かれ、東国から集められた防人が防備についた。


万関展望台の下にある3516番歌碑。


金田城跡の石垣から浅茅湾(あそうわん)を見る。

対馬の上島と下島の間はリアス式海岸で、奈良時代には東西を行き来できる瀬戸はなかった。
遣新羅使は、大船越か小船越の東岸で船を降り、船を丸太のコロを並べて運んだか、または荷物のみ運んで別の船に乗り換えて浅茅湾に入った。
小船越を通るには、東南の三浦湾から入ったであろう。当時の港であった西漕手(にしのこいで)にそのなごりがある。

美津島町小船越の国道沿いに駐車場とトイレがあり、小船越と西漕手の説明板がたっている。
国道から200mほど西へ歩くと静かな入り江が見えてくる。ここが小船越の西漕手。

遣新羅使は通っていないと思うが、小船越の東方に住吉瀬戸がある。
海の色が紫に見えることから紫の瀬戸という別名があり、瀬戸にかかる住吉大橋の手前のバス停付近に万葉歌碑がある。
紫の 粉潟こがたの海に 潜かづ鳥 玉潜き出ば 我が玉にせむ 巻16-3870
濃い紫の粉潟の海に潜ってあさる鳥が、底の玉を拾い出したら、それを私の玉にしよう。

対馬の島の浅茅の浦に至りて船泊(は)てし時に、順風を得ず、経停(とど)まること五箇日(いつか)なり。


対馬グリーパークの時計塔の下部に歌碑が刻まれている。

百船の 泊
つる対馬の 浅茅山
しぐれの雨に もみたひにけり
  巻15−3697

多くの舟が泊まる対馬の浅茅山は
しぐれの雨に黄葉してしまった



対馬グランドホテル近く、真珠の湯温泉の駐車場前。
 


姫神山から三浦湾を隔てて見た浅茅山(大山岳)。

天離ざかる 鄙にも月は 照れれども 妹ぞ遠くは 別れ来にける  巻15−3698

秋されば 置く露霜に あへずして
都の山は 色づきぬらむ
  巻15−3699

秋になると置く露霜に堪えきれずに
都の山は色づいたであろう


美津島町の大山岳(浅茅山)登山道入口に
歌碑がある。

 


金田城跡がある標高276mの城山から見た浅茅湾の西の海。ここまで来ると外海は近い。


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