万葉の旅

大宰府

07.7.31
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大宰府政庁跡。
ハゼの木の陰から礎石と石碑を見る。背後には四王寺の山並み。
                    

標高281mの中世の山城・岩屋城址から見た大宰府政庁跡。

岩屋城址の石碑


大宰府政庁跡の水路。水の流れが心地よい。


歩く万葉学者・犬養孝先生揮毫の「あおによし」の歌碑が、大宰府政庁跡東南
端の大宰府展示館近くに建っている。

あをによし 寧楽ならの京師みやこは 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
小野老おののおゆ  巻3−328

あまりにも有名な歌であるが、天平元年(729)、小野老が大宰府に着任した時
の宴席で披露した歌とされている。奈良で生まれた歌という印象が強いが、
実は大宰府で生まれた歌だった。
 

大宰府政庁跡の北西の角に坂本八幡宮がある。ここには大伴旅人の邸宅があったとされていて、
大伴旅人の歌碑が建っている。

右の森が坂本八幡宮。空には福岡空港を飛び発つ飛行機。           

わが岡に さ男鹿をしか来鳴く 初萩の 花嬬はなづま問ひに 
来鳴くさ男鹿
 大伴旅人 巻8−1541
私の住む岡に牡鹿が来て鳴いている。初萩の花を妻と見立てて、
牡鹿は訪ねて来たのであろう。


坂本八幡宮から少し東へ行った所にある真新しい歌碑。
大宰府で妻を亡くしたときの心情を詠ったものである。
世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 
悲しかりけり
 大伴旅人 巻5−793


大宰府政庁跡の南端、県道のバス停そばに歌碑がある。
石川足人の「大和を思い出すか」という問いに答えたものである。

やすみしし 我が
大君
おほきみの す国は 大和もここも
同じとぞ思ふ
 
大伴旅人 巻6−956

天平2(730)年正月、大伴旅人邸で「梅花の宴」が催され、多くの歌人が集い、32首の梅花の歌が詠まれた。

大宰府政庁跡の西端の道を南へ少し下った梅林。
正月むつき立ち 春の来らば かくしこそ
梅を招きつつ 楽しきを経め
大弐紀卿
だいにきのまえつきみ 巻5−815

大宰府天満宮の菖蒲池の梅林。
万代よろづよに 年はとも の花
絶ゆることなく 咲きわたるべし

筑前介つくしのみちのくちのすけ佐氏子首さじのこおびと 巻5−830

■万葉の小道 2016/6/22取材 Lumix G1

大阪大学名誉教授で万葉学者の犬養孝先生は、その著書「万葉 花・風土・心」の中の、旅人・憶良の道―わたしの道―
という章で、次のように書いている。

国分寺から八幡社にいたる道は、わたくしにとって大切な道だ。

静かな国分の住宅街地を通りぬけて、東のはずれの池を、西から南と池の土手を歩き、そこから細い山道に入る。
ここばかりは何年たっても変わらない。市街からまったく忘れられたようにして残っている道だ。

こんなにすばらしい道、こんなに古代のおもかげを事こまかに宿した道がまたとあるだろうか。
わたくしは、これこそ旅人・憶良が行き交うた古代の道といってもおかしくないように思われる。

犬養孝先生が「万葉 花・風土・心」を出版したのは1987年、約30年前のことである。
したがって、当時と今とでは環境が変わっているかもしれないが、万葉の小道を歩いてみた。


太宰府市文化ふれあい館(無料駐車場あり)の北側の道を右へ進むと、池の堤に突き当たる。
ここを右へ池の堤に沿って進むと、万葉の小道への入口の石段がある。石段といっても大きな石を2個重ねただけのものである。


正面が池の堤。ここを右へ進む。


2個の石が積まれた石段を上りまっすぐに進む。


万葉の小道は雑木林の中を通る枯れ落ち葉の道。入口に案内が全くないが、途中に小さな標柱があった。


林をぬけると田んぼ。昔とあまり変わっていないのではないだろうか。


東の入口に案内があるが、万葉の小道という表記はない。


                                         
大宰府天満宮から九州国立博物館への上り口左手。

我が園に 
の花散る
ひさかたの 
あめより雪の
流れるかも

大伴旅人 巻5−822

わが家の庭に梅の花が散る、
空から雪が降って来るのだ
ろうか。

不思議な感じの歌であるが、温暖化が進んでいないこの時代、九州では梅が咲く頃に雪が降っていたのだろう。

大宰府市役所の歌碑。
春されば まづ咲くやどの 
の花
ひとり見つつや 春日暮らさむ
  
山上憶良 巻5−818

九州国立博物館の歌碑。
ここにありて 
筑紫
つくしやいづち 白雲の
たなびく山の
 かたにしあるらし 大伴旅人 巻4−574
                        
大宰府小学校下・大町公園の歌碑。2014/3/2 EOS 5D
妹が見し 楝あふちの花は 散りぬべし
我が泣く涙 いまだ干
なくに

山上憶良 巻5− 798

この歌碑の存在をインターネットで知った。
出典は、大宰府万葉会が編集したパンフレットのようである。当日、この歌碑の前で歌碑めぐりのグループに出会い、一番左の女性から手渡されたのが、そのパンフレットだった。
                         
学校院跡付近の歌碑。2014/3/2 EOS 5D

子等(ら)を思ふ歌

瓜食
めば 子ども思ほゆ
栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来たりしものそ
まなかひに もとなかかりて
安眠
やすいしなさぬ 山上憶良 巻5−8022

反歌

しろがねも 金くがねも玉も 何せむに
まされる宝 子にしかめやも
 山上憶良 巻5−803
                             
朱雀大橋北の歌碑。2014/3/2 EOS 5D
大君の 遠の朝廷とほのみかどと あり通ふ
島門
しまとを見れば 神代し思ほゆ
柿本人麻呂 巻3−304

かつての朱雀大路。
ここには朱雀門があり、その礎石が保存されている。