万葉の旅

藤白坂

10/3/20
PENTAX K-7/17-70
                        

藤白の 御坂を越ゆと 白栲しろたえの 我が衣手は 濡れにけるかも  巻9−1675
藤白の坂を越えようとして、有馬皇子がここで亡くなったことを思いだし、私の着物の袖は涙でぬれてしまうでしょう。

熊野古道藤白坂。 関連サイト熊野古道/藤白坂
                         


藤白神社の境内にある有馬皇子神社の落ち椿。
有間皇子は、孝徳天皇の皇子。孝徳亡き後、皇太子である中大兄皇子か、孝徳の息子である有馬皇子が天皇になるのが自然であるが、天皇の位に就いたのは中大兄の母・皇極であった。斉明天皇である。

有馬皇子は、斉明4年(658)11月に謀反の疑いで捕らえられ、中大兄皇子と牟婁の湯(白浜の湯崎温泉)に来ていた 斉明天皇の
もとへ連行された。

中大兄皇子の尋問を受けたのち都へ護送される途中、この藤白坂で絞殺された。皇子は19歳の若さであった。



有馬皇子神社境内の「藤白の〜」の歌碑。
                          

藤白坂の入口付近にある有馬皇子の墓と歌碑。
家にあらば 笱に盛る飯いい
草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

有馬皇子 巻2−142
家に居るときには入れ物に盛って食べるご飯であるが、
今は旅であるから椎の葉に盛って食べる。

 
                         
●付近の万葉歌碑
                         

海南駅前の歌碑。万葉学者・犬養孝先生の揮毫。
紫の 名高の浦の 靡なびき藻の 情こころは妹に 寄りにしものを
巻11−2780
名高の浦に靡く藻のように、私の心はあなたに靡き寄ってしまった。

海南駅の少し北、鉄道の高架橋付近の歌碑。
紀伊の海の 名高の浦に 寄する波 音高きかも 逢はぬ子ゆゑに
巻11−2730
名高の浦に寄せる波のように噂が高いその娘(こ)にまだ逢ってはいない。

/// 藤白神社近くに、この付近で詠まれた6首の歌とそのイメージ画が描かれた横長の大きなパネルがある。///
黒牛潟 潮干の浦を 紅の
玉藻裾引き 行くは誰が妻

巻9−1672



いにしへに 妹と我が見し ぬばたまの
黒牛潟を 見ればさぶ

巻9−1798
黒牛の海 紅にほふ ももしきの
大宮人し あさりすらしも

巻7−1218



紫の 名高の浦の 真砂地
袖のみ触れて 寝ずかなりなむ

巻7−1392
紫の 名高の浦の なびき藻の
心は妹に 寄りにしものを
巻11−2780



紫の 名高の浦の 名告藻なのりそ
磯に靡
なびかむ 時待つ我れを
巻7−1396