万葉の旅

神戸市平磯緑地「万葉歌碑の道」

07.12.6
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万葉歌碑の説明板
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山陽電車東垂水駅のすぐ南に平磯公園がある。西端に駐車場があり、トンボの池、恋人岬、芝生公園、有料の平磯海づり公園がある。北側の緑地の中に約2kmの遊歩道があり、万葉歌碑は東端にあるので、駐車場から往復4km歩くことになる。万葉歌碑は6基、地元の人たちの募金などによって1994年に設置された。碑は万葉仮名で刻まれている。

垂水ゆかりの万葉歌碑〜説明板より転記

 私たちのふるさと“垂水”は、歴史の豊かなまちです。史跡五色塚をはじめ、いろいろな文化財があります。“垂水”は、古来、いくつかの文学作品の中にも登場しています。
 なかでも、万葉集の中の志貴皇子の懽びの御歌である【一四一八】『石ばしる垂水の上のさ蕨の萌えいづる春になりにけるかも』に歌われている“垂水”は、一番有名です。この歌は、明朗で直線的な歌調のさわやかな一首で、春になった喜びの心が一気に歌いあげられており、万葉集四千五百余首の中でもすぐれた歌の一つとして、定評があります。
 次の【一一四二】の歌は、自分の人生が無事に幸せであるように、と願って、“垂水”(滝)の水を手にすくい飲んだ、という意味の歌です。また、【三〇二五】の歌は、“垂水”(滝)の水のように愛しき君に心から激しく恋い焦がれている、という恋の歌です。
 これらの歌の“垂水”については諸説があり、必ずしも神戸市垂水区を歌ったものではないかもしれませんが、垂水区に住んでいる私たちは、この地に因んで歌われたものと考えています。
 柿本人麻呂の【二五四】、【二五五】の歌にある『明石の門』、『明石大門』は、明石海峡のことを指していますが、『門』、『大門』とはその入口のことで、『櫛淵』というところです。この『櫛淵』は、摂津と播磨の境である堺川(塩屋)付近ということが、通説ですから、これも垂水の歌といえます。昔の舟旅から考えても塩屋の海域であれば、柿本人麻呂の歌の実感がわいてきます。
 【四一三】の大網公人主、宴に吟ふ歌にでてくる『塩焼き』とは塩づくりのことで、昔、塩屋で行われていましたので、これも垂水が舞台の歌です。
                    
いわばしる 垂水の上の さ蕨の 萌えいづる春に なりにけるかも
志貴皇子 巻8−1418

岩の上から流れ落ちる滝水のほとりに、
さわらびの芽が萌え出す春になりました。

 
                        
石走る 垂水の水の 愛しきやし 君に恋ふらく わがこころから
作者不詳 巻12−3025


岩の上を流れ落ちる滝水のように可愛らしいあなたに、恋い焦がれているのも、
私の心からなのです。
                       
命をし 幸さきくよけむと 石走る 垂水の水を むすびて飲みつ
作者不詳 巻7−1142

愛しいこの命に幸あれと、岩の上から流れ落ちる滝の水を、手ですくって飲みました。
                       
須磨の海人あまの 塩焼き衣きぬの 藤衣
間遠
まどおにしあれば いまだ着なれず
大網公人主 巻3−413

須磨の海人が塩を焼くときに着る藤衣は、縫い目が荒い。
そのように妻とは遠く離れているので、未だなじんでいません。
                         
天離あまざかるる 鄙ひなの長道ながぢゆ 恋ひ来れば
明石の門
より 大和島見ゆ
柿本人麻呂 巻3−255


都を離れた遠い所からの長い道のりを恋い慕ってやって来ると、
明石の海峡から大和の辺りが見えてきました。
                    
燈火ともしびの 明石大門おほとに 入る日にか
漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず
柿本人麻呂 巻3−254

私たちの舟も明石海峡に入る日になりましたか。
いよいよ大和とも漕ぎ別れることになるでしょう。
もう家のあたりは見えません。


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