万葉の旅

領布麾ひれふりの嶺

08/11/4
K10D



領布麾の嶺(現在の鏡山)からの展望。
手前が虹の松原、丸い島が高島、その右手が神集島(かしわじま)。松浦佐用姫はこの海に向かって領巾を振った。                        


大伴佐提比古郎子(おほとものさてひこのいらつこ)
、ひとり朝命を(かぶ)り、使(つかひ)藩国(はんこく)(うけたま)はる。
艤棹(ふなよそひ)
してここに()き、やくやくに蒼波(さうは)(おもぶ)く。
(せふ)松浦(まつら)佐用姫(さよひめ)
、かく別れの(やす)きことを(なげ)き、かく会ひの(かた)きことを(なげ)く。
すなはち高き山の(みね)に登り、()()く船を遥望(えうばう)し、悵然(ちやうぜん)(きも)()ち、
黯然(あんぜん)(たま)
()つ。つひに領巾(ひれ)を脱ぎて()る。
(かたはら)
(ひと)(なみだ)を流さずといふことなし。よりてこの山を(なづ)けて、領巾麾(ひれふり)(みね)といふ。


日本の三大悲恋物語といわれる松浦地方に伝わる伝説が松浦佐用姫の物語。
古代、朝廷の命令で朝鮮半島の任那、百済の救援に派遣された青年武将大伴狭手彦は、停泊地である松浦の地で土地の長者の
娘・佐用姫と恋に落ちる。
やがて、出帆の時が来て、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山に駆け登り、軍船にむかって身にまとっていた領巾を打振った。
それでも名残りはつきず、佐用姫は山から飛び降り、呼子加部島まで追いすがったものの、すでに船の姿はなく、悲しみのあまり七
日七晩泣き続け、ついに石に化したというものである。この故事から、鏡山は領巾振山と呼ばれるようになった。
                 

←鏡山山頂の鏡山神社前の歌碑
松浦県
まつらがた 佐用媛の子が 領巾ひれ振りし
山の名のみや 聞きつつをらむ
山上憶良 巻5−868


鏡山山頂の鏡池にかかる橋の佐用姫のレリーフ。
                     
鏡池から西展望台へ行く途中にある歌碑。
遠つ人 松浦佐用姫まつらさよひめ 夫恋つまごひに
領巾
ひれ振りしより 負へる山の

大伴旅人 巻5−871


西展望台付近の佐用姫像。
                    
西展望台付近の歌碑。

行く船を 振りとどみかね いかばかり
恋しくありけむ 松浦佐用姫
山上憶良 巻5−875
                   

川上神社の樹齢800年のクスがおおいかぶさる殿原寺跡。
殿原寺は、松浦佐用姫を追善し、椿の大木より刻んだ聖・千手・馬頭・十一面・准胝・如意輪の6観音像をまつって建立されたといわれており、お堂の隣に万葉歌碑がある。
国道323号線沿いの玉島神社の少し先で県道306号へ右折して2キロほどの座主という集落に川上神社がある。座主は、松浦佐用姫の出生の地とされている。


万代よろづよに 語り継げとし このたけ
領巾振りけらし 松浦佐用姫

大伴旅人 巻5−873
                      

佐用姫が追いすがって行ったという加部島の
田島神社に佐佐木信綱揮毫の万葉歌碑がある。

海原
うなはらの 沖行く船を 帰れとか
領巾
振らしけむ 松浦佐用姫
大伴旅人 巻5−874



田島神社の鳥居は佐賀県最古、約1000年前の肥前鳥居。


境内には松浦佐用姫をまつる佐用姫神社がある。
                   
←道の駅「厳木」の巨大な佐用姫像。
 近くには、厳木温泉「佐用姫の湯」がある。
 佐賀県北部を旅していると、佐用姫の文字をあちこちで眼にする。


神集島から唐津湾を見る。
丸い島が高島、すぐ左が標高283mの鏡山。後は標高505mの三方山系。