万葉の旅 香椎 07.8.21
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香椎宮楼門。官幣大社香椎宮は、仲哀天皇9年(200)、神功皇后が自ら祠を建て仲哀天皇の霊を祀ったのが起源とされている。

JRの踏切付近にたつ官幣大社香椎宮の碑がある。
かつてはすぐ近くまで海で、
右手の森に香椎宮頓宮があり、海を展望する台地だった。
今も小高い丘で、三条実美揮毫で明治21年に建てられた万葉仮名の歌碑がある。 




冬の十一月に、大宰の官人等、香椎みやみまつり、をはりて退まかり帰る時に、馬を香椎の浦にとどめて、
おのもおのもおもひを述べて作

いざ子ども 香椎に 白栲しろたへ  さへれて 朝菜摘みてむ 師大伴旅人 巻6−957

時つ風 吹くべくなりぬ 椎潟 潮干に 玉藻刈りてな 大弐だいに小野老朝臣をののおゆあそみ 巻6−958

往き還り 常に我が見し 香椎潟  明日のちには 見むよしもなし 豊前守とよのみちのくちのかみ宇努首男人うぬのおびとをひと  巻6−959


往き還り 常に我が見し 香椎潟の歌碑が、みやこ町豊津の豊前国府跡公園にある。 2015/8/21 FinePix X100

  鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。

 前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島の山が海に浮び、その左の方には残の島がかすむ眺望のきれいなところである。

  この海岸を香椎潟といった。昔の「橿日の浦」である。太宰帥であった大伴旅人はここに遊んで、「いざ児ども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)と詠んだ。

これは、松本清張の名作「点と線」の一節である。香椎浜が埋め立てられる前、万葉の頃の面影が残っている時代の香椎浜の描写である。

清張が「点と線」を日本交通公社の「旅」に連載したのは昭和32年(1957)。50年前、香椎浜には1300年前の万葉の時代とあまり変わらない海岸があった。

わずか50年で、日本全国から万葉の風景が消えた。

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