万葉の旅

泳宮くぐりのみや

2012/10/12
K20D
          

ももきね 美濃の国の 高北の 泳の宮に 日向(ひむか)ひに 行靡闕矣(ゆきなびけを) ありと聞きて 我が行く道の
奥十山(おおきそやま) 美濃の山
 靡(なび)けと 人は踏めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山 
巻13−3242
美濃の国の高北の泳の宮に、日に向かってなびくように行く少女があると聞いて、私が行く道にある奥十山や美濃の山よ、
なびいてくれと人が踏んでも、傍へ寄れと人が突いても、心ない山の奥十山や美濃の山は動かない。



          



可児市久々利(くぐり)の可児郷土歴史館から300mくらいのところの住宅地の中に泳宮古蹟はある。中は 小公園になっていて、右手に、石の柵で囲まれた墓所のような場所があり、中央に万葉仮名で書かれた万葉歌碑がたっている。 ここは、1800年くらい前に景行天皇が美濃に行幸した際の行在所の跡とされている。

石標には次のような説明が彫られている。
日本書紀の巻七・景行紀に、景行天皇(12代天皇)が即位された後の4年の2月から11月までの間、この地に行幸し給い、その行在所となったと記されている。また、当地の八坂入彦の姫、入媛(いりひめ)を妃とし、後に皇后とされたと伝えられる。

この歌の作者は、都から美濃への旅の難渋さを、景行天皇の気持ちになって詠んだものであろう。

ここをおとずれた白洲正子さんは、著書『かくれ里』の中で次のように書いている。
泳宮には、景行天皇のお手植えと称する椋の木が立っていたが、優に千年は超える大木で、私が行った時はふさふさと葉をつけて、当分枯れることはあるまいと安心した。
あたりを探したが、それらしい木は見つからなかった。枯れたのだろうか。