万葉の旅

久邇くにの都

2018/6/25
EOS 6DU/24-105


十五年癸未の秋の八月の十六日に、内舎人大伴宿禰家持、久邇の京を讃めて作る歌一首
今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし 
巻6−1037





久邇の都とは、恭仁京(くにのみや)のことである。
天平12年(740)10月、聖武天皇は平城京を離れ、伊賀、伊勢、美濃、近江などを行幸して、同年12月、恭仁宮(木津川市加茂町)に入り遷都を宣言した。
その後、天平16年(744)2月に難波宮への遷都が行われ、翌天平17年(745)5月には再び平城の地へ都が戻った。
恭仁京は3年ほどの短いものだったが、天平13年(741)には国分寺・国分尼寺建立の詔、天平15年(743)には大仏造立の詔、墾田永年私財法の発布があり、
恭仁京での3年間は歴史上重要な時期であった。


家持の歌に詠まれた「山川のさやけき」風景は、木津川にかかる恭仁大橋から見た風景に近いのではないだろうか。
川の彼方には、聖武天皇の甕原離宮があったとされる鹿背の山が見える。


恭仁大橋の北のたもとの桜の木の下に、家持の万葉歌碑がある。

今造る 久邇の都は
山川の さやけき見れば うべ知らすらし
巻6−1037

今造っている久邇の都は、その山や川の清らかさを見れば、
ここに都を定められたことが納得できる。