万葉の旅

真土山まつちやま

2013/11/12
PENTAX K-7
                                 
真土山は、大和と紀伊の 境界、現在の奈良県と和歌山県の県境にある。和歌山県橋本市隅田(すだ)町には真土という地名が残っている。

真土山は標高100mほどの小山である。平城京から真土山までは2日、飛鳥・藤原京からは1日の行程で、ここまで来た旅人は、眼下に広がる紀の川を眺め、紀伊の国に入ったことを実感したのであろう。


←国道24号線「真土」の南にあった観光協会の案内板。


真土山を南から見る。右手の森が真土山。ここをたずねる人のために、民家を利用したトイレ付きの休憩所が設けられていた。
                               

あさもよし 紀伊へ行く君が
真土山 越ゆらむ今日ぞ 雨な降りそね
  
巻9−1680
紀伊の国へ旅するあなたが、真土山を越えるだろう今日こそ、雨よ降らないでおくれ。

国道24号線「真土」の北側のこの歌碑がある。

2000年に開催された「第8回橋本万葉まつり」を記念して、当時、甲南女子大学名誉教授で文化功労者の犬養孝先生の著書『紀ノ川の万葉』の遺稿を刻んだものである。

                               

宝元年辛丑の秋の九月に、太上天皇、紀伊の国に幸す時の歌

さもよし 紀伊人羨ともしも 真土山 行き来と見らむ 紀伊人羨しも
巻1−55
紀伊の人がうらやましい。真土山を行きに帰りに見ているのだろう。
紀伊の人がうらやましい

国道24号線「真土」の南側のこの歌碑がある。「紀伊人羨しも」を2回繰り
返していて、万葉集ではめずらしく新鮮な感じを受けた。


歌碑の後ろに弘法大師ゆかりの井戸がある。
満々と水をたたえていて、井戸の縁には石仏が置かれている。
高野山草創の頃、ここを通りかかった弘法大師が水不足に悩む住民のために、この井戸を掘ったという。
昭和28年(1953)に水道が出来るまで飲料水として使用されていた。
冷たいので「冷水」と呼ばれ、後ろにある坂を冷水坂という。
冷水坂を上って南へ、「飛び越え石」へ至る万葉の道がある。
                                                    

神亀元年甲子の冬の十月に、紀伊の国に幸す時に、
従駕の人に贈らむために娘子に誂へらえて作る歌

大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と
出で行きし 愛し夫は 天飛ぶや
 軽の路より
玉たすき 畝傍を見つつ
 あさもよし 紀伊道に入り立ち 
真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ
にきびにし 我れは思はず 草枕 旅をよろしと
思ひつつ 君はあるらむと あそそには
かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば
我が背子が
 行きのまにまに 追はむとは
千たび思へど たわや女の 我が身にしあれば
道守の 問はむ答を 言ひやらむ
すべを知らにと
立ちてつまづく
  
笠朝臣金村 巻4−543


集落の中、慈願寺前の道を進むと、「 飛び越え石150m」の標柱があり、右手に歌碑が立っている。

                                  

石上乙麻呂卿、土佐の国に配さゆる時の歌

石上 布留の命は 手弱女(たわやめ)の
惑ひによりて 馬じもの 縄取り付け 獣じもの
弓矢囲みて 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る
古衣 真土の
山ゆ 帰り来ぬかも
  巻6−1019

石上の布留の君は、美しい女性への惑いによって、まるで馬のように縄をくくりつけられ、獣のように弓矢に囲まれて、天皇のご命令で遠い辺地へ流されていく。古い衣を打つ真土山から旅立って、もう帰ってはこないだろう。

山道を下った杉林の中にある。
この碑も2000年の「第8回橋本万葉まつり」を記念して建造されたもので、犬養孝先生の遺稿が刻まれている。

石上乙麻呂が服喪中の未亡人と情を交わし、天皇の怒りに触れ、土佐に配流される際に詠われたもの。政争による冤罪だったという説もあり、4年後には赦免された。

                             

(つるばみ)の 衣解き洗ひ 真土山
(もと)つ人には なほ及(しか)かずけり
巻12−3009 

つるばみで染めて作った着物を洗濯して、また打って柔らかくしてくれる。昔から連れ添った妻にまさるものはない。

少し進んだ畑の中にポツンと歌碑が立っている。
歌の中に唐突に真土山が出てくるので、歌の意味を考えるときに真土山をどう位置づければよいのか分からなかった。

                           
さらに進むと、県境を流れる落合川に達する。
川へ降りる途中に歌碑があり、川には飛び越え石がある。
石は想像していたものよりもはるかに大きかった。



いで我が駒 早く行きこそ 真土山 待つらむ妹を 行きてはや見む  巻12−3154
さあ私の馬よ、早く行っておくれ。真土山の向こうで待っているだろう妻に早く会いたい。
                                

派手なイラストが描かれたJR和歌山線隅田駅。「飛び越え石」も描
かれていて、ずんぐりした体つきの女学生が飛び越えている。落書き
防止のために隅田中学校美術部の生徒が描いたという。

真土山 夕越え行きて
廬前
(いほさき)の 角太河原に ひとりかも寝む 弁基(べんき) 巻3-298 
真土山を夕方越えて行って廬前の角太川原で独り野宿をするのだろうよ。
                             
白たへに にほふ真土の 山川に
我が馬なづむ 家恋ふらしも
  巻7−1192
白い布のように照り映える真土山の山川で私の馬が行き悩んでいる。馬も家を恋しく思っているのだろう。

JR和歌山線の橋本駅の向かって左側にある。
この歌碑も、2000年の「橋本万葉まつり」を記念したもので、犬養孝先生の遺稿が刻まれている。