万葉の旅

三穂の浦

11/5/27
PENTAX K10D
          

早朝に道成寺に立ち寄ったのち、美浜町の煙樹ヶ浜をめざした。ここから日の岬までの海岸線にふたつの万葉故地がある。
ひとつは「久米の岩屋」、もうひとつは「三穂の浦」である。
どんよりと曇った天気で煙樹ヶ浜はその名の通り煙っていた。煙樹ヶ浜から県道を西へ、アメリカ村の直前、逢母(おいぼ)バス停の手前を左折し集落の中の道を進むと、「久米の石室」という標識があり、ここで左折して小道を林の中へと進む。林を抜けて海岸へ下り、大きな石がごろごろした海辺を右へ進むと、右手上方に海に向かって大きく口をあけた洞窟が見えてくる。

久米の石室。中でたき火をしたのか入口が黒ずんでいる。ちょっと不気味な感じだった。

博通はくつう法師、紀伊国に行き、三穂の岩屋を見て作る歌三首

はだすすき 久米の若子わくご いましける 三穂の石屋いはや 見れどかぬかも
 巻 3−307
久米の若君がおられたという三穂の洞窟はいくら見ても見飽きないかも

常盤ときはなす 石屋は今も ありけれど 住みける人そ なかりける 巻 3−308
大きな岩のように永遠に変わらない姿で三穂の岩屋は今もあるけれど、久米の若君はもうこの世にはいない。

石室いはやど 立てる松の樹 汝を見れば 昔の人を 相見るごとし 巻 3−309
三穂の岩室に生えている松の木よ、あなたを見ていると久米の若子に逢っているようだ。

作者の博通法師についてはよく分からないし、
久米の若子についても、幼名が来目稚子の顕宗天皇とする説や久米の仙人とする説があるがよく分かっていない。


アメリカ村付近で左折し海岸沿いを進むと海猫島が見えてくる。
このあたりが三穂の浦で、海岸の大岩に御影石をはめこんだ万葉歌碑がある。

万葉歌碑のある大岩のむこうに見えるのが蜑取(あまとり)島、別名海猫島。歌碑は万葉学者澤瀉(おもだか)久孝氏の揮毫。

風早の 三穂の浦みを 漕ぐ舟の 舟人騒く 波立つらしも  巻7−1228
風早の三穂の浦あたりを漕いでいる舟、その舟人たちが騒いでいる。波が立ち始めたらしい。

さらに進んで日の岬に立ち寄り高浜虚子と若山牧水の碑を見て、三尾の海岸を後にした。
            

妻長女 三女それぞれ 啼く千鳥
昭和20年(1945)、赤痢により、妻、長女、三女を亡くしたにもか
かわらず業務を遂行し続けた日ノ御埼灯台守に感銘を受けて詠んだ。

日の岬 こゆとふ今を いちじろく ふねぞ傾く 暗き雨夜を

大正7年(1918)、熊野へ旅した時、日の岬の沖合を航行中に詠んだもの。当時は熊野への航路があったのだろうか。