万葉の旅

御笠の杜

07/8/16 *istDS2
09/2/1   *istD


御笠の杜・地禄宮。
ウォーク万葉」によれば、次のように書かれている。

「樟の大木を含めて10本足らずの森であるが、住宅地では目立つ。入口に石鳥居が立ち、地禄宮と刻まれ、正面に石祠があり、左奥に小さな社殿がある」

ところが、様子がおかしい。地禄宮と刻まれた石鳥居はまぶしいくらいに真新しく、正面に石祠はない。

隣にシルバー関連施設があり、この施設建設の際に大きく変化したものと思われ、施設と神社は金網で仕切られている。それにしても、万葉歌碑はどうなったのだろうか。

宰大監だざいのだいげん大伴宿禰百代おおとものすくねももが恋の歌
思はぬを 思ふと言はば 大野なる
御笠の 神し知らさむ 
巻4−561
恋してもいないのに恋していると言えば、
大野の御笠の杜の神が成敗されるでしょう。

近くには御笠川が流れ、歌枕は1300年を経て小学校の名前として残っている。
 
           
歌碑は、もうひとつの御笠の杜の推定地にあった、所在地は、「萬葉集の歌碑」の田村泰秀さんからメールをいただいた。田村さんは万葉歌碑めぐりの大先達である。

御笠の杜の歌碑はとても気にはなっていたものの、なかなか行く機会がなくて、前回の訪問から1年半が経過していた。

場所は、地禄宮のある通りからさらに南の県道60号沿いであった。改修も真新しい広い県道を東から西へ向かうと、左手に小さな森が見えて来る。

森のそばにある町名表示は「大野城市山田2丁目9」、すぐ近くに、「御笠の森」という交差点がある。

私有地を大野城市が買い上げ、小公園として整備したとのことで、森の中に「明治百年」を記念して建てられた大きな歌碑がある。


ここは福岡空港の着陸ルート、森のすぐ上を飛行機が頻繁に飛んでゆく。
大野城市が建てた立派な説明板には次のように書かれていた。


奈良時代に作られた『日本書紀』には、仲哀天皇のお后(きさき)である
神功皇后が、荷持田村(のとりたのふれ、今の甘木市秋月字野鳥)に住む
羽白熊鷲(はじろくまわし)という豪族を従わせようとして橿日宮(かし
ひのみや、福岡市東区香椎)から松峡宮(まつおのみや、朝倉郡筑前町三
輪)へ向かわれていると、突然つむじ風が起こり、皇后のかぶられていた
笠が吹きとばされてしまった。そのため、その場所を名付けて御笠とい
うようになった。