万葉の旅

水城

07.7.31
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唐と新羅の攻撃から大宰府政庁を護るために、664年に築かれた水城大堤。東門付近から西門方向を見る。
                    

水城大堤之碑。

史蹟水城跡。東門の礎石が残っている。


冬の十二月に、大宰帥だざいのそち大伴卿おほとものまへつきみ、京にる時に、娘子をとめが作る歌
おほならば かもかもせむを かしこみと 振りたきを びてあるかも 巻6−965
あなたが並みのお方であれば思いのままに別れを惜しめたのに、貴いお方なので振りたい袖も振れない。

納言大伴卿がこたふる歌
ますらをと 思へる我れや 水茎の 水城に 涙拭のごはむ 巻6−968
自分を立派な男だと思っている私が、水城の堤の上でめめしくも涙を拭いましょう。

大伴旅人は妻と長男家持らを伴って大宰府へ赴任した。旅人は大宰府に約3年間勤務したが、その間に妻を亡くした。この歌は天平2(730)年、大伴旅人が上京する時に、妻を亡くし傷心している旅人をなぐさめた遊女児島が、旅人に惜別の歌を贈り、旅人がそれに応えたものである。

水城の別れの歌碑は水城堤から200mほど南の衣掛天神近くにある。 衣掛天神には、都から水城に着いた菅原道真が、傍らの松と石に衣を掛け着替えた、という伝説が残っている。